1.メディアの役割
メディアの仕事は、報道や解説や言論の他に、権力を監視することだと言われます。
2.監視の対象
日本のメディアが監視しているのは、当然わが国政府です。ところが、政府以外にその監視対象になっている権力があります。
戦後の日本は連合国の軍隊に、実質的にはアメリカ軍に占領され、1952年の主権回復後も、米軍はわが国に駐留し続けています。主権回復と同時に米国と日米安全保障条約を結び、1960年の改定を経て、今日に至っています。
いまでは反対派もずいぶん減りましたが、日米安保条約を結んでいるとアメリカが行う戦争に巻き込まれるということで、戦後から冷戦後のしばらくの間は、左派政党やメディアは同条約に反対していました。
左派が大勢のわが国のメディアが今でも監視の対象にしているのは、日本国政府と、日本と軍事同盟を結んでいるアメリカ政府です。露支英仏独、どの大国の首脳と比較しても、メディアの米大統領に対する関心が突出しているので、それが分かります。
3.処世術としての反権力
前大戦でわが国のメディアが得た教訓は、政府と歩調を合わせるのは得策ではないということです。そのため、主流派メディアは、反権力を標榜しています。
反権力という立場はなかなか居心地が良い。
政府の政治が正しければ、その中で温々と商売に励んでいられますし、政府の政治が間違っていれば、それに反対した勇気と見識ある人たちということで、読者や国民から賞賛を受けられるからです。
要するに、いつも政府とは反対のことを言っていればいい。
反権力を掲げるわが国の主流派=左派メディアは、政府に対して肯定的監視ではなく(それを行っているのは産経新聞)、常に否定的監視を行っています。
4.権力監視の結果
ところが問題なのは、反権力とか、権力を監視するというメディアのスタンスが、かえって日本やアメリカに敵対的な国にとって好都合な報道や言論となって表れることです。まるで、敵(日米政府)の敵は味方です。
冷戦中日本やアメリカの負の側面は散々報道する一方、共産国のそれは殆んど報じませんでした。そのため、少なからぬ人たちが、ソ連や中共や北朝鮮を理想の国だと誤解しました。
冷戦前後を通じて、左派メディアは不思議に、わが国にとって最も害を及ぼすと思われる国の脅威を否定する報道や言論を行っています。冷戦中はソ連の、冷戦後は中共の。
現在わが国の最大の軍事的脅威は中共です。そして、沖縄の基地問題は冷戦中から続いています。ところが、冷戦時代よりも現在の方が、沖縄の基地問題を多く報じ、否定的な論説を行っています。
たとえば、左派メディアが辺野古埋め立てに反対しているのは、沖縄県民や日本国民のためなのでしょうか、それとも中共政府のためなのでしょうか。
歴史問題でも、韓支に寄り添うような言説を行っています。南京事件、慰安婦問題、徴用工問題。
その典型は、韓国済州島で慰安婦狩りをしたという吉田清治の虚偽の主張を、三十年以上にも渡って誤りだと認めなかったことです。
最近でも、いわゆる徴用工を「いわゆる」抜きで報じています。一体自称徴用工のうち何人が本当に徴用工だったのか、そのファクトチェックすらしようとしません。
日本政府には監視で、韓国政府には忖度なのでしょうか。
5.善悪の転倒
ウィキペディアの「マスメディア」の項目には、次のような記述があります。
「権力を監視し批判することこそマスメディアの使命であるとする考え(ウオッチドッグ機能)も存在するが、権力批判を至上命題(至上命令 いけまこ)とした場合ともすれば権力に従わない犯罪者をも擁護することになりかねず、善悪の転倒が起きる場合がある」
正に、前節で述べたように、「善悪の転倒」が起こっています。
民主的な、一応人権が保障されている国の政府に対しては、小さな悪をも批判する一方、独裁制の、人権が保障されていない、あるいは反日的な国に対しては、大きな悪をも見過ごすということになって表れています。
わが国の左派メディアにとって、前者のような日本やアメリカ政府は監視対象ですが、後者のような中共や北朝鮮や韓国政府は監視対象ではないからです。
わが国の左派メディアは善悪の転倒を避なければなりません。そのためにも、独裁主義国家、人権無視国家、反日国家の政府をも、その監視の対象にすべきだと思います。