1.信仰の対象
キリスト教徒は唯一神Godを信仰の対象にしています。共産主義者は唯一のイデオロギー、マルクス主義を「信仰」の対象にしています。しかし、冷戦後、自他共に認めるという共産主義者は激減しました。彼らに代わって勢力を伸ばしているのが、リベラルという「多神教徒」です。
戦後のわが国の左翼が信仰の対象にしてきたのは、次のようなものです。
資本主義から社会主義への社会の発展、非武装中立、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会・・・・
共産主義者にとって、「資本主義から社会主義への社会の発展」が上位目的で、その他はそれに役立つ限りで支持しうる下位目的に過ぎません(実際に、非武装中立を主張したのは日本社会党で、日本共産党は武装中立ですが)。
一方、旧社会党的な、優柔不断な左翼は、それらを並立して目的としていました。彼らは一種の多神教徒です。優柔不断な左翼の正嫡たる現在のリベラル派は、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会をいまだに信仰の対象にしています。
2.理解というより信仰
それら政治目的に対するリベラルを含めた左翼の信じ方は、科学者の仮説に対する態度ではなく、信徒の「ご本尊」に対する態度と同じです。
信徒は信仰に都合が悪い事実が発覚しても、それを見ようとはしません。彼らは多くの宗教・宗派を比較研究した上で、一番正しいと思えるものを選んだわけではありません。にも拘らず、説得によって彼らに改宗もしくは棄教させることは不可能です。
左翼は、対象は宗教ではなく政治問題に過ぎないのに、理解ではなく、信仰しようとします。
3.説明・証明の不在
冷戦後、資本主義から社会主義への社会の発展及び非武装中立に対する信仰は薄れましたが、その他の論点への左翼の信仰はいまだ健在です。
・平和憲法について
1950年時点で韓国に平和憲法があったら、北朝鮮は南進しなかったでしょうか。2003年にイラクが平和憲法を持っていたら、アメリカは同国を攻撃しなかったでしょうか。2014年にウクライナが平和憲法を所有していたら、ロシアはクリミア・セヴァストポリを併合しなかったでしょうか。
現在支那はわが国の尖閣諸島に野心を持っているのは周知の通りですが、その野心を阻んでいるのは平和憲法でしょうか。
自衛隊と米軍=軍事力であるのは明らかでしょう。
・東京裁判史観について
そもそも戦争の勝敗と善悪は無関係です。どうして敗戦国のみ悪のレッテルを貼られなければならないのでしょうか。戦争犯罪は戦勝国も敗戦国もおかしています。前者の戦争犯罪は不問に付し、後者のそれだけを追及するのは二重基準でしょう。しかも、東京裁判では事後立法によって、そして「戦争犯罪」の拡大解釈によって日本を裁きました。それは、法の不遡及の原則に反しています。
戦前先進国は皆植民地を持っていました。戦勝国の植民地支配は非難されないのに、なぜ敗戦国の植民地支配のみが反省や謝罪の対象になるのでしょうか。
・核兵器の廃絶について
「それでも核兵器は廃絶できない」をご覧下さい。
・差別なき社会について
差別的と見られる制度をいくら改めても、最後は人間の差別意識というどうしょうもないものに突き当たります。そして、それは人間が人間である限り永遠に無くすことはできないのです。
以上について、左翼は何ら納得できる説明なり証明なりを行っていません。
それにも拘らず、彼らは頑として自らの信仰を疑おうとはしません。そして、信仰を同じくする者たち同士で合言葉を交わしてメートルを上げる一方、信仰を同じくしない者の言論は封殺します。
4.神は死んだ
左翼教の信徒は、平和憲法、東京裁判史観、核兵器の廃絶、差別なき社会といった「神」が、もう既に死んでしまっていることに、気づいていないようです。