学問はまず興味・関心から

1月14日付朝日新聞によれば、「独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した」とのことです。

同日付同紙に、「評伝」が掲載されました。
梅原氏は述べたとのことです。

「デカルトの『方法序説』によって私は学問の方法を学んだ。学問にはまず『疑い』がある。その疑いは、それまでの通説に対する深い疑いである。そのような長い疑いの末、直観的に一つの仮説を思いつく」

私は学問とは無縁な人間ですが、おおよそ次のような具合ではないかと思います。
学問はまず興味、関心からスタートします。
何らかの分野に関して、興味なり関心なりを持ち、それを勉強なり研究して行く中で、ある時「疑い」が生まれるのでしょう。
物理に興味のない人からは、物理学上の有意義な疑いは生まれないでしょうし、政治に関心のない人からは政治学上の重要な疑いは生まれることはないでしょう。
疑いよりも、興味が先です。

興味を抱いた分野を研究している内に、ある問題に関して疑問が浮かび、その疑問を考えているうちに、ある日「一つの仮説を思いつく」。その仮説が真であることを証明するのが学問だろうと思います。

 

また氏は、「自らを哲学者と呼び、『すべてを疑い、権威に対して戦うことが哲学者の任務』と公言した」そうです。

戦後日本で哲学者とか思想家とか呼ばれる人たちは、難解な、普通の人たちが理解できないようなことを書いている分にはそれらしく見えますが、現実的な、社会的政治的な発言をする段になると途端に幼稚なことを言い出す人が少なくありません。
なぜでしょうか。

戦後風靡した(している)平和憲法、マルクス主義信仰、非武装中立論、東京裁判史観、核兵器廃絶論、現在流行のリベラリズムなど、そのような「権威」を疑ってこそ、真の哲学的精神だと思うのですが。
しかし、大方の哲学者、思想家たちは、それらに対して恭順の姿勢を示します。

梅原氏は2004年「九条の会」呼びかけ人になったとのことですが、それが「すべてを疑」った結果だとするなら、寂しい限りです。

【読書から】
「助教授ぐらいまでは、世紀の底のバラスト搔きをやっても差し支えないが、哲学教授ぐらいになったら、専門的知識や文献学的知識の煙幕をはることなく、自分の考えでどれぐらいの発言を、眼前の時事問題に対してなしうるかを示してくれてもよい。それはいわゆる『論文』よりも数等に哲学的思索を要し、危険で知的勇気のいる仕事であることがわかるであろう」(太字、原文は傍点 いけまこ)(渡部昇一著、「哲学と哲学者」『読中独語』、文藝春秋、23頁)