インテリはなぜ左傾するのか

学生時代、級友たちと比べて成績が良かった秀才たちは、ある種の強迫観念が染み着くのかもしれません。

知識の点において、凡才の諸君を凌駕している。だから、判断力の点でも勝っているはずだし、一歩先を見通せるはずである。将来は、各界のリーダーになって、大衆を善導しよう。あわよくば、先見の明ある正義の人士として、彼らからの賞賛も受けたい。
そして、そういう熱意を抱いたまま、大学を卒業し、マスコミ界、法曹界、官界あるいは学界へ巣立って行きます。

さて、自ら新しい思想を創出して、皆が進むべき方向を指し示すことができれば、それに越したことはありません。しかし、秀才は天才ではありません。彼らにはそんな能力はありません。
そこで、インテリたちが選択する次善の策は、欧米で流行っているか、近く流行りそうな、あるいは彼らが先進国だとみなす国で実施されている(実施されているということになっている)進歩的な思想なり立場なりを見つけてきて、大衆に向けて、これぞ進むべき方向だと提示することです。
20世紀、インテリが大衆を誘い、あるいは強要したのが共産主義でした。

ところが、インテリの予想とは違って、共産国の民衆は東から西へ、逃亡しました。殆んど例外はありません。一方通行です。
それを見て、西側の大衆は、それならこちらの体制の方が優れているのだなと素直に納得しますが、インテリはイデオロギーによって考えますから、民衆は東から西へ逃れているけれども、政治経済体制的には東側の方が優れているに違いないと考えたりする。
共産主義に対する判断は、インテリよりも大衆の方が正しかった。

そして、今また、インテリは欧米のものさしを振り回し、大衆を叱責する。
死刑制度を廃止せよ、移民を受け入れよ、外国人と共生しよう、同性婚を認めよ、女性および性的少数者を差別するな、#MeToo・・・・。
それは、本当に進歩的な立場なのでしょうか。共産主義とは別種の、予想もしない酷い社会が到来したりしないのでしょうか。

自分たちは大衆よりも、判断力の点でも、見識の点でも勝れているはずだ、との思い込みを改めない限り、インテリによる社会の誤導は止まないだろうと思います。