慰安婦は女性の人権の問題か

韓国の文在寅大統領は、8月14日の「慰安婦の日」の式典で演説したそうです。

「慰安婦問題は、人類の普遍的な女性の人権の問題だ」(2018年8月15日付朝日新聞)。

もし「普遍的な女性の人権の問題」なら、そして慰安婦は、朝鮮人のみならず日本人もいたのですから、どうして日本人慰安婦の「人権」は問題にならないのでしょうか?(ハイ、三行で論駁終了)

文氏は韓国の大統領だから、朝鮮人慰安婦を対象にしているのであって、日本人慰安婦は日本政府が問題にすべきだというのでしょうか。
しかし、これまで、日本政府にしろ、わが国の、とりわけ括弧付き人権派の、左翼マスコミにしろ、日本人慰安婦は問題にしていません。なぜでしょうか。彼女たちは戦場売春婦だということを皆知っていた(いる)からでしょう。

では、なぜ朝鮮人慰安婦だけが問題になったのでしょうか。
慰安婦問題に火をつけた人たち、そしてそれを持て囃した人たちが、思い違いをしたからです。日本人慰安婦は任意で集められたのに対し、朝鮮人慰安婦は強制的に集められたのだと。それで、この問題が燎原の火のごとく燃え上がってしまった。

確認しましょう。
慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった。そして、当時わが国に併合されていたから、朝鮮は日本でした。募集方法は日本人と同じ、業者が集めた。帝国軍人に朝鮮人将兵がいたように、慰安婦にも朝鮮人がいました。
要するに、日本人慰安婦にしろ、朝鮮人慰安婦にしろ、強制的(非合法的)に集められたわけではなく、任意で(合法的に)集められたのです。本人もしくは親の合意があったのなら、任意です。

「『慰安婦の日』は、(中略)8月14日は1991年に、旧日本軍の慰安婦だった故金学順さんが初めて実名で体験を公表した日にあたる」(朝日新聞、同前)とのことです。
その金学順氏については、秦郁彦氏が『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)で、「彼女の場合も典型的な身売りのケースだったと思われる」と推測しています(180頁)。つまり、親に売られた=親の合意があった、ということです。
国際問題にまで発展しましたが、慰安婦問題自体がフェイク・プロブレムなのです。

さて、問題に火をつけた人たちが、引っ込みがつかなくなって編み出したのが、狭義の強制はなかったけれども、広義の強制はあったとの論法です。まるで、オウム真理教の「ああ言えば上祐」のようです。

現在の日本でも、韓国から女性が来日し、風俗嬢として働いている例もあるでしょう。
中には、「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われ」(いわゆる河野談話)ていると、言えなくもないケースもあるでしょう。
それなら、彼女たちだって、「広義の強制」に当てはまるはずです。
「慰安婦の日」は、正式には「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」とのことですが、将来、「日本人風俗嬢被害者をたたえる日」が韓国で制定されることになるかもしれません(笑)。

追記
文大統領は慰安婦問題を、「人類の普遍的な女性の問題」にすり替えようとしています。なぜでしょうか。
論点をずらすことによって、日本側の反発を逸らし、日韓関係の改善をはかろうとしているのでしょう。

追記2
下記は、おすすめ記事です。
「よもぎねこです♪」さんの、「慰安婦問題は女性の人権問題ではない」。

インテリはなぜ左傾するのか

学生時代、級友たちと比べて成績が良かった秀才たちは、ある種の強迫観念が染み着くのかもしれません。

知識の点において、凡才の諸君を凌駕している。だから、判断力の点でも勝っているはずだし、一歩先を見通せるはずである。将来は、各界のリーダーになって、大衆を善導しよう。あわよくば、先見の明ある正義の人士として、彼らからの賞賛も受けたい。
そして、そういう熱意を抱いたまま、大学を卒業し、マスコミ界、法曹界、官界あるいは学界へ巣立って行きます。

さて、自ら新しい思想を創出して、皆が進むべき方向を指し示すことができれば、それに越したことはありません。しかし、秀才は天才ではありません。彼らにはそんな能力はありません。
そこで、インテリたちが選択する次善の策は、欧米で流行っているか、近く流行りそうな、あるいは彼らが先進国だとみなす国で実施されている(実施されているということになっている)進歩的な思想なり立場なりを見つけてきて、大衆に向けて、これぞ進むべき方向だと提示することです。
20世紀、インテリが大衆を誘い、あるいは強要したのが共産主義でした。

ところが、インテリの予想とは違って、共産国の民衆は東から西へ、逃亡しました。殆んど例外はありません。一方通行です。
それを見て、西側の大衆は、それならこちらの体制の方が優れているのだなと素直に納得しますが、インテリはイデオロギーによって考えますから、民衆は東から西へ逃れているけれども、政治経済体制的には東側の方が優れているに違いないと考えたりする。
共産主義に対する判断は、インテリよりも大衆の方が正しかった。

そして、今また、インテリは欧米のものさしを振り回し、大衆を叱責する。
死刑制度を廃止せよ、移民を受け入れよ、外国人と共生しよう、同性婚を認めよ、女性および性的少数者を差別するな、#MeToo・・・・。
それは、本当に進歩的な立場なのでしょうか。共産主義とは別種の、予想もしない酷い社会が到来したりしないのでしょうか。

自分たちは大衆よりも、判断力の点でも、見識の点でも勝れているはずだ、との思い込みを改めない限り、インテリによる社会の誤導は止まないだろうと思います。

オウム事件、真相は必ず解明できるか

「あれだけだいそれたことをやったからには、それなりの理由があるに違いない」。

坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件がオウム真理教による犯行だと発覚し、世間の人たち、とりわけ左派の人たちが抱いたのは、以上のような感想でしょう。その点、9.11テロの場合も同じでした。
ところが、教祖以下、実行犯が逮捕され、裁判になっても、一向に皆が期待した解答が得られません。裁判が始まってから二十年以上が経って、今年7月教団元代表の麻原彰晃以下12名が死刑になりました。「それなりの理由」は不明なままです。
もし彼らがテロを行った合理的な理由があるのなら、二十年以上も時間はあったのだから、しかも13名に対して死刑判決が下ったのだから、誰かがその一端でも述べることがあっても良さそうなものです。

たぶん尊師でさえ、何をしたかったのか自覚がなかったのではないでしょうか。「あれだけだいそれたことをやった」にも拘らず、合理的な理由はなかったと解するのが合理的ではないでしょうか。
朝日新聞の元編集委員氏は書いています。

「なぜ私たちの社会に、私たちの時代に、あのような集団が生まれ、事件が起きたのか。死刑囚全員の死刑執行によって、私たちはその真相を知る機会を永遠になくしてしまったのかもしれない」(朝日新聞2018・7・27)。

相変わらず、思わせぶりですが、首謀者当人にさえ目的が明確に意識されていなかった、そのようなテロの真相の究明は可能なのでしょうか?

杉田水脈発言と言論の自由

「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。

実際には、ヴォルテールの発言ではないそうですが、彼の名言とされているものです。
他者の意見であれ、自分のそれであれ、本当に「命をかけて」まで守れるかどうか疑問ですが、一般的な意味でなら、誰もこれに反対しないでしょう。ところが、自分のこだわる思想に関する主題になると、途端に雲行きが怪しくなります。

杉田水脈衆議院議員の、LBGTのカップルは、「『生産性』がない」との主張の論文が話題になりました。
異論がある人は、大いに反論したら良いと思います。しかし、同議員の思想・言論の自由を封じるような言動は、常軌を逸していると言わざるをえません。杉田氏を批判する人たちは、彼女の意見に反対しているのでしょうか。それとも、彼女の主張を社会的に抹殺せよと言っているのでしょうか。
杉田氏の除名と議員辞職を求める人たちがいるようですが、それは過剰要求であり、彼らは抹殺論者でしょう。

「私はあなたの意見には反対だ。だから、あなたがそれを主張する権利は認めない」を実践しています。彼らは、全体主義者です。
その意見の賛否に拘らず、杉田氏が「それを主張する権利を守る」人たちは一致して、「それを主張する権利を認めない」人たちと、戦わなければならないと思います。

追記
8月1日付自民党の、「LGBTに関するわが党の政策について」には、こうあります。
「今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです」。

左翼としてのリベラル」に書きましたが、自民党はリベラルと保守が混在する同床異夢政党です。理念・政策の実現よりも、選挙互助が優先なのでしょう。そして、杉田議員の主張は世間的には実に不評だった。選挙(総裁選も含む)と政権の支持率を憂慮する上層部の意向が、「指導」を生んだのでしょう。
当初二階幹事長は、「『人それぞれ政治的立場、色んな人生観がある』と述べ、党として問題視しない考えを示してい」(2018年8月2日付、朝日新聞夕刊)ましたが、一転指導になりました。
「わが党はLBGTの方々と共にあります」とのメッセージを表明した。
このフットワークの良さが自民党の強さであり、野党が伸び悩んでいる理由の一つだと思います。