リベラルという妖怪

「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、一共産主義の妖怪が」。

これは、『共産党宣言』の有名な書き出しです(国民文庫、大月書店)。
冷戦が一応終結してから約三十年が経過しました。「共産主義の妖怪」は、今や息絶え絶えです。それに代わって、世を席捲しているのが、リベラルという妖怪です(イスラム教徒の間では、もう一匹の妖怪、イスラム過激派が跋扈しています)。すなわち、進歩主義(左翼)の国の王位が、共産主義からリベラルに替わりました。

進歩主義者という人種は、この世からいなくなることはありません。彼らは永遠です。その時代(国)には、その時代に相応しい進歩主義思想・主義者が現れます。だから、人類が続く限り、政治的左派と右派もなくなることはありません。
ところが、進歩主義者=左翼というものを固定的にしか考えられない人たちは、その時代の左翼がいなくなれば、もうそれが死滅したと考えます。共産主義者がいなくなれば、左右対立がなくなったと早合点してしまう。
しかし、進歩主義者たちは、新しい時代になれば、旧い衣を脱ぎ捨てて、新しい衣に着替えます。彼らの多くが、リベラルという衣を羽織ったところです。
リベラルというのは、左翼の今日的形態です。

さて、リベラルは、自由尊重の立場でしょうか。
リベラルとは、辞書で引けば、自由主義者と示されます。しかし、一般的に保守は、自由で民主的な台湾派であるのに対し、リベラルは共産党独裁国家の中共派です。冷戦前後を通じて、リベラルは自由の敵と真剣に戦った(戦っている)とは言い難い。

リベラルは少数派・弱者の味方でしょうか。
国際的に見れば、中共は多数派・強者です。台湾は少数派・弱者です。もしリベラルが少数派・弱者の味方なら、台湾支持であって当然でしょう。しかし、リベラルは中共派なのです!

リベラルは多様な価値観を尊重しているでしょうか。
自らが認める価値観・主張には寛容ですが、認めない価値観・主張には全く不寛容です。自らの価値観に反する意見は徹底的に叩く(たとえば、杉田水脈議員の、LGBTのカップルは「『生産性』がない」発言に対する反応)か、無視をする(たとえば、吉田清治証言に異議を唱えた言論に対する反応)。

確かにリベラルは、外国人参政権、同性婚、夫婦別姓などに賛成しています。が、少数派・弱者の味方であったり、多様な価値観を尊重するからではなく、それらが時代の潮流、進歩の指し示す方向だと考えるからでしょう。要するに、進歩主義者が冷戦時代は共産主義に、今はリベラルに入れ揚げているのは、それが将来的に勝利すると信じているからです。結局、彼らは勝ち馬主義者なのです。

冷戦時代、進歩主義者たちの多くは、共産主義に賭けました。けれども、大外れでした。とするなら、今日流行のリベラルという進歩思想も、何れ共産主義の二の舞になるかもしれないと、一度は疑ってみた方がいいのではないでしょうか。