謝罪が不要な理由
戦前わが国は支那を侵略したという。そして、戦後の日本はそれをちゃんと反省・謝罪していないと、支那人及び反日的日本人は声を大にして言います。
しかし、二つの理由で、私は同国に対する謝罪は不要だと考えます。
第一。戦前の日本より、現在の中共の方がはるかに侵略大国であるからです。
第二。現在どこの国も侵略していない日本が、他国を侵略し続けている中共に謝罪するのは不自然だからです。そして、それは日本が同国の行動を侵略だと見做さないとの、誤ったメッセージになるからです。
侵略大国としての支那
中共は、民族的にも文化的にも支那ではないチベットやウイグルを侵略し続けています。言うまでもなく、万里の長城は北方の異民族の侵入を防ぐために、支那人が造りました。つまり、そこより北は支那固有の領土ではありません。中共は旧満州をも侵略し続けています。もし「中国東北地方」というものが認められて良いのなら、「日本西北地方」だって、あるいは満州国はなおさら認められて良かったはずです。
周知のように、今日中共は東シナ海では尖閣諸島を自国領だと強弁し、公船を侵入させていますし、南シナ海では他国も領有権を主張する海域を、力によって一方的に囲い込みをしました。
また、台湾の人々が嫌がっているのに、その併呑の時機を窺っていますし、各国に圧力をかけ、同国の国際社会からの締め出しを謀っています。
戦前の日本よりも、現在の中共の方が、長期的かつ広範囲にわたって他国・他民族を侵略しているのは明白です。
現役の強盗犯と引退した窃盗犯
どこかの雑誌で読んだ記憶があります。
現在の中共が戦前日本の歴史を道義的に責めるのは、現役の強盗犯が引退した窃盗犯の過去を非難するようなものだと。その通りでしょう。前者が後者に向かって、お前はまだ反省していないと詰っている。笑止です。
反日的日本人の二重基準
中共の政治指導者たちだって愛国者でしょうから、自国の侵略について薄々承知していながら、国益の観点から、それには口を噤み、日本の古傷を敢えて攻撃しているのかもしれません。
むしろ不可解なのは、中共と一緒になって自国の罪を糾弾している日本人です。彼らは、現役の強盗国家中共の罪は不問に付し、引退した窃盗国家日本の罪のみを言い立てる。普通の愛国者ならありえない二重基準です。反日的日本人と言うゆえんです(注)。
反日的日本人の紋切型
さて、反日的日本人の紋切型に、次のようなものがあります。
他国が侵略した(している)からといって、自国の罪がなくなるわけではない、だから日本は率先して謝罪すべきだと。
もし日支両国が同程度の罪を犯した者同士なら、その主張も一理あるかもしれません。しかし、既に述べたように、戦前日本よりも現在の中共の方がはるかに侵略大国なのです。
それなのに、一方的に謝罪するのは、わが国が自国の行為は犯罪だと考えるのに、中共のそれは犯罪だと考えないとのメッセージになりはしませんか?
説明責任の必要
反日的日本人の皆さんは、自らの立場の正しさを主張し続けるのなら、以下の何れかを証明ないし説明する必要があると思います。
第一。戦前日本より、現在の中共の方が侵略小国であることを証明すること。
第二。前者よりも後者の方が侵略大国であるが、それにも拘らず、日本が支那に謝罪する必要があると言うのなら、その理由を(紋切型以外の)述べること。
それについて、納得できる説明がない限り、やはり日本は支那に対して、謝罪の必要はないと断ぜざるをえません。
隗より始めよ
現役の犯罪者に、他人の過去の犯罪を批判する資格はありません。
わが国は中共に対して言うべきです。隗より始めよ、と。
大国は小国の模範となるべきです。
中共が近隣諸国や諸民族への侵略を止め、反省なり謝罪なりするのを見届けた後、わが国は支那に対して応分の謝罪を考えれば良いでしょう。それからでも遅くないと思います。
(注)
反日的日本人は、二つの局面において二重基準を用いるのが常です。
一つは、他国と自国の侵略に対して、とりわけ今述べているように、支那と日本のそれに対して。もう一つは自己と自国の行為に対して(自己には無罪推定、自国には有罪推定!)。両者に対して二重基準を適用するのは矛盾であり、異様な思考なのだということを理解しないから、彼らは反日的日本人になるのです(後者の二重基準については、「三万人でも三十万人でも同じか」を参照のこと)。