戦後日本が平和だったのは、平和憲法があったからとの主張は何度も目にしました。
では、次のような仮定をしましょう。
戦前ドイツの周辺諸国に平和憲法があったなら、ドイツは近隣諸国を侵略しなかったでしょうか。あるいは、戦前支那に「戦争の放棄」を明記した憲法があったなら、日本は大陸に出兵しなかったでしょうか。
戦前は野蛮な時代だったけれども、戦後は国際連合もでき、戦前とは違うという人もあるかもしれません。
それなら、別の例を挙げましょう。
1950年6月25日より前に、韓国に憲法九条があったなら、北朝鮮は南侵しなかったでしょうか。1991年の湾岸戦争(正確に言えば、その前年の8月2日)より前に、クウェートが平和憲法を持っていたなら、イラクは同国へ侵攻しなかったでしょうか。2003年3月20日に始まったイラク戦争より前に、イラクが戦争の放棄を謳う憲法を所有していたら、アメリカはイラクを攻撃しなかったでしょうか。
何れの事例においても、戦争ないし侵攻は止められなかったでしょう。平和憲法は、他国を侵略しない国になるには幾分役に立つでしょうが、他国から侵略されない国になるには、全く役に立ちません。
歴史を眺めれば、洋の東西を問わず、近隣諸国同士は侵略したりされたりしているのが分かります。ある国が攻める時代もあれば、攻められる時代もあります。たとえば、日本やイギリスが大陸へ進出した時もあれば、大陸勢力が日英へ押し寄せた時もあります。今日のわが国は、近隣諸国との力関係から見て、攻勢の時代にあるでしょうか、それとも守勢の時代にあるでしょうか。
もし攻勢の時代にあるのなら、平和憲法を堅持することによって、日本の暴走を阻むことができるでしょう。しかし、守勢の時代にあるのなら?それによって、野心を持つ国の来襲を防ぐことはできません。かえって、同国の侵入を誘うことになるでしょう。
ロシア、中共、北朝鮮の核保有、尖閣諸島への中共公船の闖入などを見れば、現在のわが国は守勢の時代にあるのは明らかです。
前に戻って、戦前のドイツの近隣諸国や支那、朝鮮戦争前の韓国、湾岸戦争前のクウェート、イラク戦争前のイラク、それら守勢の側にあった国が戦争を回避しうる方法があったでしょうか。あったとすれば、攻勢にある国が攻撃を躊躇するだけの軍事力の保持、でしょう。
中共は尖閣諸島を自国領だと主張していますが、同国の野望を挫いているのは憲法九条でしょうか?自衛隊と米軍です。
軍事力なくして平和は守れません。戦後わが国が平和だったのは、自衛隊と在日米軍があったからです。憲法だけでは平和は守れません。