三万人でも三十万人でも同じか

「この人々は、自己を心理的に日本という国家の外部におき、その『悪行』を、他人の不幸を見るように好きなだけ暴露することに精を出してきた」(藤岡信勝著、『近現代史教育の改革』、明治図書、1頁)

目次

はじめに
1.南京事件
2.冤罪
3.反日派の反省・謝罪
4.本多勝一氏と『中国の旅』
5.反日派の分裂思考

はじめに

政治に初めて関心を抱いて以来、なぜ多くの人たちの間で意見が様々に分かれるのか不思議に思ってきた。
二十年以上前から、先の大戦を中心とする近現代史の、いわゆる歴史認識の問題(注)が、世間の耳目を引いてきたけれども、人々の認識の相違はなぜ生じるのか、とりわけ戦勝国史観(東京裁判史観)の肯定派と否定派の二派に分かれるのはどうしてなのか。その原因はどこにあるのか、について考えてみた。その結果一つの仮定に到達した。それについて、以下論じてみたい。

(注)
歴史認識の問題と称されるけれども、実際は歴史評価の問題であろう。というのは、個々の歴史的事実に関する認識の相違というよりも、戦争を含めた戦前の歴史に関する評価の差異が、両派の立場を分かつ根本因なのだから。

1.南京事件

1937年12月、当時中華民国の首都であった南京を、旧日本軍が攻略・占領した。その際に、多数の支那人捕虜や一般市民を殺害したとされる。いわゆる南京事件である。この事件に対するある物言いに、その人物の歴史認識の立場が端的に表れると思われる。
2006年3月、読売新聞主筆であった渡辺恒雄氏と朝日新聞論説主幹であった若宮啓文氏は対談本を出版した。その中で渡辺氏は発言している。

「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」(1)。

この種の主張は何度も目にした。朝日新聞には、たとえば次のような記事が掲載された。

「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館には(中略)外装には中国語、英語、日本語で、犠牲者を三十万と記す。気が遠くなるような数字だ。日本人の中には、当時の南京市民の数などから、この数字を疑問視する人々がいるが、たとえ誤差があったとしても責任を逃れることはできない。数よりもその非道を問われているのだ」(2)。

同紙の読者投稿欄からも一つ引用しよう。「虐殺した数が問題ではない」と題する投稿である。

「三十万人殺しても、百人殺しても虐殺は虐殺である。二、三十万人殺したら大罪だが、十人なら微罪などという人命軽視の論理は通用しない」(3)。

保守雑誌でも、次のように述べる人もいた。

「虐殺人数が中国のいうように三十万人か、それとも偕行社のいうように六万ぐらいか、と問うことと同様、大した意味があるとは思えない」(4)。

疑問なのは、このような発言をする人たちは、個人的な問題でも、そのような物言いをするだろうかということである。

2.冤罪

人間は皆誰であれ絶対に犯罪をおかさないとは限らない。愛国的日本人であれ、非愛国的日本人であれ、そこに例外はない。南京事件について、「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」と発言する人たちだって同じである。
さて、南京事件に関してそのように主張するある人物が運悪く犯罪をおかしたとする。事情があって人を一人殺してしまったのである。彼は自首し、警察の取り調べに正直に答えた。と、そこまでは良かったのだけれども、同時期に同じような種類の殺人事件が他に一件あったため、彼はそのことまで疑われてしまう。ところが、それに関してアリバイを証明することができない。起訴され、裁判になり、二人殺害との裁決が下った。この時彼は、「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」と言って、第一審の判決に素直に従うだろうか。
彼本人でなくても良い。彼の妻でも子供でも親でも良い。今述べたような状況に置かれた場合、彼はどのような態度をとるだろうか。息子は一人しか殺していないと訴えているのに、一人だろうと二人であろうと殺人は殺人なのだから、地裁の判決に従えと彼は息子に言うだろうか。
もし彼がまともな親なら、そんなことを言うはずがない。彼は息子に控訴を勧めるだろう。たとえ裁判で証人が何人も息子に不利な証言を行ったとしても、息子の語っていることの方が正しいのではないかと考えるのが正常な親というものである。
仮に一人殺したのが事実だとしても、何らかの事情があったからではなかろうかと斟酌するのが真っ当な親というものであろう。息子の言い分にも拘らず、不当な判決に甘んじよと諭すのは正気な親とは言えない。実際彼はそんなことは言わないだろう。
だとすると、自分自身や妻、子や親がやっていないと考えられることに関しては最大限無実を主張するだろうに(たった一人の「誤差」に過ぎないのに!)、自国の、しかも本当におかしたかどうか疑わしい「犯罪」に対して、なぜ最大限、いや最小限でさえ濡れ衣をはらそうとしないし、思わないのか。思わないのなら、その理由は何だと考えるのか。
しかし、そのような人が何と弁じようとも、理由は一つしかない。それは、彼が自身や肉親のことは「自分のもの・自分のこと」だと考えるけれども、自国のことはそう考えないからだ。日本のことを他人事のように見ているからだ。
福田恒存氏は書いている。

「私は一億総懺悔などとばかばかしいことをいふつもりはないが、さればといつて、日本政府、あるいはその帝國主義軍隊と、この自分とはべつのものだなどといはれて、『おお、さうだつた』と安心する氣はありません。もちろん、私は私なりに、今度の負け戰はやりきれなかつた。個人としてできるかぎり軍閥政治に利用されたくないとおもつてゐました。その是非は別問題として、事實さうでした。が、いまになつて、日本の軍隊は惡いが、おまへは許してやるといはれれば、やつぱり不愉快です。私たちが戰爭をとめられなかつたことからくる責任感ではありません。あれほど嫌つてゐたけれども、その日本の軍隊はやはり自分のものだつたといふ氣もちがあるからです」(太字いけまこ)(5)。

人を怒らせるには、母親の悪口を言うのが一番だといわれるが、それは彼(彼女)が母親を「自分のもの」だと見做しているからだ。一方、他人の母親の悪口を聞いても怒らないのは、彼にとって他人の母親は「自分のもの」ではないからだ。
すなわち、南京事件について、「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」などと放言できるのは、日本の歴史を「自分のこと」だと認識していない証拠なのである。
次のような定義が下せるだろう。反日的日本人とは、日本国自体を、そしてその歴史を「自分のもの」だと思っていない日本人のことであると。反日的日本人にとって、日本は「他人の母親」なのである。

3.反日派の反省・謝罪

問題は、反日的日本人(それは、左翼=社会・共産主義者+リベラル【注】とほぼ重なるのであるが)に限って、韓国や支那に対して謝罪したがるということである。そのため彼らは、歴史を直視せよ、過去を反省せよと訴え続けているのである。
そのような立場を鮮明に打ち出し、しかも最も権威あるとされるマスメディアは朝日新聞であろう。そこで、少々古いが、しかし同紙の考えは今も変わっていないと思われるので、その手の論説のいくつかを社説からピックアップしてみよう。
まず1994年12月7日付「『戦後』がやっと始まった」では、

「韓中両国との関係拡大や韓国の民主化といった変化を背景に、日本人は最近になってようやく、加害者としての課題に気付いた。いわゆる戦後補償問題である。(中略)今こそ、世界に通用する歴史認識に立って戦前を総括し、戦争の後始末をする時だろう」。

翌95年は国会において、「戦後五十年決議」が行われた年であるが、同年2月26日付「不戦決議で政治の見識をを示せ」では、

「私たちは、歴史をありのままに直視し、その反省に立って国際社会の平和と繁栄に責任を果たす決意をうたうこの決議こそ、次の世紀に向けたこの国の歩みのいしずえとなるべきものと考える。(中略)決議は、戦後補償を進める立脚点ともなる。(中略)苦しいけれども、歴史を直視することなしに未来は開けないのだ」。

97年1月5日付「人を飛蝗にしてはならぬ」では、

「日本の戦争責任についても、いわば自家製の応援団がいる。『日本だけが悪かったのではない』『自分を責める自虐的な歴史観だ』などという。自分だけではないという自己弁護は見苦しい。しかられた子供が『ボクだけじゃないのに』とすねるようなものだ。(中略)私たちも、自らの歴史をあるがままに見て、非は非として認める。自虐どころか、これこそ堂々とした態度だと思う」。

その他、「政治家の歴史認識を悲しむ」(1995年3月18日)だの、「過去を直視することの誇り」(95年5月8日)だの、「歴史から目をそらすまい」(97年3月21日)だの、「歴史をまっすぐに見よう」(97年4月29日)だのと(もちろんこれで全部ではないけれど)、読者に向かって、ひいては、謝罪に反対する人たちに向かって反省を促している。
これだけ過去を直視せよ、反省せよと訴えているのであるから、朝日新聞自身当然「自らの歴史をあるがままに見て、非は非として認め」ているのでなければおかしいだろう。しかし、実際は真反対である。
これまで同紙の報道や言論の問題点について、数多くの人物が語ってきた。戦前の戦意昂揚記事、冷戦中の内外の社会主義寄りのスタンス、日米安保条約(改定)の反対、毛沢東の後継とされていた林彪副主席失脚を否定する報道を行い続けたこと、1982年の教科書誤報事件など。
朝日は誤った報道や言論を行ったことについて、誠実に訂正をし、あるいは読者に向かって説明をしてきただろうか。1989年のサンゴ落書事件や吉田清治証言のように、言い逃れができなくなった場合だけは過誤を認めたけれど。もっとも、後者の場合は、最初の報道から「おわび」まで三十年以上が経過した。
冷戦時代日本社会党にしろ、共産党にしろ体制選択において社会主義体制支持であった。そして、社会主義体制の国はソ連邦以下全て破綻した。長年間違った指針を国民に提示してきたのだから、それについて何らかの釈明があってしかるべきだろう。しかし、今日まで両党の関係者で、それを行った者はいない。
以上をみても分かるように、反日派だって自身のおかした過ちを素直に認めたり、読者もしくは国民に、率直に謝罪したりしたわけではないのである。なぜそれができないのか。自らが所属する会社や組織を「自分のもの」だと思っているからだ。一方、戦前の日本について苛烈なまでに断罪できるのは、彼らにとってそれは「他人のもの・他人のこと」だからである。
社会党委員長にして内閣総理大臣であった村山富市氏は、1994年7月、それまでの党の政策を転換し、自衛隊の合憲と日米安保条約堅持を認めた。翌95年8月には、いわゆる村山談話により、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して」「痛切な反省の意を示し、心からのお詫びの気持ちを表明」した。
村山氏は、94年の政策の転換に関しては当事者であり、戦前の「植民地支配と侵略」に関しては当事者ではない。氏が謝罪すべきは、何よりも前者に対してである。しかし、実際になしたのは後者についてであった。
なぜか。村山氏にとって、前者は「自分のこと」だから、「痛切な反省の意を示し、心からのお詫びの気持ちを表明」することができないのである。一方、後者は戦前の指導者がやったこと、つまり他人事であるから気楽に、「反省の意を表し」えたのである。
再び、次のような定義が下せる。反日的日本人とは、自身や家族、自分の会社や組織については「自分のもの」と考えるけれども、こと自国に関してはそう考えない人たちのことであると。
何れにせよ、反日派、愛国派を問わず、「自分のもの」についても「他人のもの」についても、党派的正義よりも事実優先でなければならない。

【注】
「左翼=社会・共産主義者+リベラル」については、「左翼としてのリベラル」を参照のこと

4.本多勝一氏と『中国の旅』

わが国の歴史を「自分のもの」と考えない人間が、戦前日本の「悪行」を暴いた典型的な例が、本多勝一氏の『中国の旅』であろう。本多氏は同著に書いている。

「私の訪中目的は、(中略)戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにすることだった」(太字本多氏、原文は傍点)(6)。

氏にとって、中共が「自分のもの」なのであろう。
さて、『中国の旅』の問題点はいくつかある。第一、本多氏が取材した1971年6、7月当時、日本の新聞社は皆中共から追放されていて、残っているのは朝日新聞一社だったこと、そのこと自体同社が中共政府の代弁機関として利用価値があったことを示している。第二、当時の中共は今日と違って明確な共産主義体制であって、取材の自由はなかったし、その取材がどのようなものであったか、氏自身が報告している。

「レールは敷かれているし、取材相手はこちらで探さなくてもむこうでそろえてくれる」(7)。

しかし、なによりも問題なのは、第三、「むこうでそろえてくれ」た「取材相手」の証言を聞き書きしただけの、裏取りのない内容だったことである。確かに、取材の自由がなかった中共で、しかも短期間の取材で、証言の裏取りなど不可能だったろう。
田辺敏雄氏は指摘している。

「そもそも、『中国の旅』連載の致命的欠陥は、日本側を取材することなく報じたことにあった」(8)。

本多氏が『中国の旅』でなしたことは、息子(日本)は被告席に立たされているのに、検察(中共)側証人として出廷し、息子に不利な証言を行う父親のようなものである。しかも、証言の内容が確かならまだしも、真偽不明(裏取り取材なし)なのだ。
法廷で息子に不利な証言を行う、そのような夫を見て、息子の母親である妻はどのような感情を抱くだろうか。なんと正義感の強い夫だろうと感心するだろうか。彼の言動に呆れ、妻は夫を決して許さないだろう。
本多氏に限らない。南京事件、百人斬り競争、慰安婦問題その他歴史問題において、事実に基づかない且つまるで他国の利益を代弁するような報道や言説を行うマスコミ人や学者や政治家は、その夫のようなものなのである。そして、彼ら反日派に対する愛国派の気持ちは、その妻が夫に抱く感情と同一なのである。

5.反日派の分裂思考

激情に駆られて人を一人殺してしまったある反日的日本人が、別件でも疑われて、しかし、「一人だろうと二人であろうと、殺人には違いがない」と言って、自分のではない罪を被って、刑に服するのを見てみたい気がする。正気とは思えないものの、言動が一致している点で感服せざるをえない。けれども、そんな光景が見られることはないだろう。日本国に愛着を持たない反日派も、自分には愛着を持つからだ。
とすると、自国の問題では「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」と言っておきながら、自己の問題では「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」となぜ言わないのか。自国と自己に対する基準が分裂している。
一方、愛国派は自己の問題で、「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」と言わないがゆえに、自国の問題でも「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」とは言わない。自己と自国に対する基準が一致している。反日派は一致していない。
反日派は、なぜ反日派になるのか。
自身や家族、自分の会社や組織に対しては愛情を持つけれども、自国に対してだけは愛情を持たないからだ。その証拠が、両者に対する二重基準である。彼らは、前者には無罪推定を適用するのに、後者には有罪推定を当てはめるのである。両者に対して別の基準を用いることは矛盾であり、そのような思考は異様なのだということに気がつかないからだ。
裁判において、被告人の家族は、検察側の主張をすべて理解した上で、彼の言い分に耳を貸すべきだろうか。そんな不自然なことはしないし、すべきでもないだろう。彼の家族は何よりも、「自分のもの」たる被告人の言い分に耳を澄ますべきである。
歴史認識の問題でも同じである。私たち日本人は、まず歴史法廷で被告席に立たされている自国の身になるのでなければならない。すなわち、自国の歴史に対しては、無罪推定で臨むのでなければならない。
勿論、それはあったことを認めるなとか、なかったことにせよとか言うのではない。ただ、当時の日本が置かれた状況や事情を汲むべきだと言いたいだけである。反日派はそれをしない。
結局のところ、私たちの間で歴史認識が二分する大本は、その人物が日本の過去を「自分のもの」と考えるか=自分事史観、「他人のもの」と考えるか=他人事史観の違いなのである。そして、後者の人たちが戦勝国史観の肯定派になり、南京事件についても、「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」などと口走るのである。
反日派だって、自身や肉親、自社や自党に愛着を持つのは明らかである。彼らに、とりわけ政府やマスメディアの枢要な地位にあったリベラルな人たちに、せめてその十分の一でも自国に愛着があったなら、歴史問題がかくまで国際問題に発展するようなことはなかっただろう。

(1)渡辺恒雄、若宮啓文著、『「靖国」と小泉首相』、朝日新聞社、40頁
(2)朝日新聞、1995年7月31日付
(3)同前、2000年2月3日付
(4)『諸君!』、文藝春秋、1994年9月号、105頁
(5)『福田恒存全集 第三卷』、文藝春秋、40頁
(6)本多勝一著、『中国の旅』、朝日文庫、10頁
(7)本多勝一著、『ルポルタージュの方法』、朝日新聞社、213頁
(8)片岡正巳、板倉由明、田辺敏雄著、『間違いだらけの新聞報道』、閣文社、339頁

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