処世術としての反権力

新聞やテレビなどのマスメディアは、国家権力を監視することを仕事の一つに挙げています。
権力側による苛烈な検閲があったからというのは迷信で、戦前新聞は政府・軍と二人三脚で国民を戦争に駆り立て、戦場を引きずり回し、死に至らしめました。それを反省して、というよりも全ての責任を政府・軍に押し付けて、戦後マスメディアは権力の監視を使命にしています。
マスメディアが戦前から得た教訓は、政府と歩調を合わせるのは得策ではない、ということでしょう。彼らが戦後掲げる反権力という立場は、グッド・アイディア!でした。政府の施政が正しければその中で温々と営業できるし、政府の施政が間違いだったら、正論を主張した英雄ということになるからです。政府とは反対のことを言っていればいい。
もっとも、朝日新聞の論調とは正反対の意見を採用すれば大方間違いはないと揶揄されるように、言論や政策選択におけるマスメディアの「正答率」の低さはかなりの水準です。戦後のわが国の歩みは、大筋としてマスメディアよりも、政府の示した方向性の方が正しかったことを証明した歴史でした。
マスメディアは、権力側とか反権力側とかとは関係なしに、自社の正しいと信じる方向で論陣を張るべきだと思います。しかし、そうすると、自分で考えなければならないし、社内で意見の対立が生じるだろうし、失敗のリスクも負わなければなりません。だから、反権力という立場を手放すことができないのでしょう。
マスメディアが反権力を標榜しているのは、国民を守るためではなく、自社の利益のため、なのは残念です(涙)。

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