パソコンで検索すると、たとえば、リベラル(リベラリズム)について、論者があれこれ語っています。
A氏曰く、B氏曰く、C氏曰く・・・・講座派と労農派、平和革命派と暴力革命派、暴力革命派の中の核マル派、中核派・・・・どれが正しい共産主義理論なのかを議論していた時代のようです。
どのマルクス主義的立場が正しいのか同様、どれが正式なリベラルの定義なのかについて、私は余り興味がありません。
「あるべきリベラル」の立場から、「あるリベラル」を批判して、彼らは本物のリベラルではないとレッテルを貼ったところで、ではあのような思想傾向の方々は何と呼ぶべきなのか、という問題が残るからです。
差し当たり関心があるのは、冷戦時代が社会・共産主義対資本・自由主義の時代だったように、現在はどのようなイデオロギー対決の時代なのかということです。それとも、イデオロギー対立などなくなってしまったのでしょうか。
『文藝春秋』2018年5月号での、中西輝政氏との対談で、佐伯啓思氏は発言しています。
「現在の日本において『保守/リベラル』、『右翼/左翼』という構図で社会を論じることはほとんど無意味になっています」。
もし皇位継承、憲法、国防、歴史認識、外国人参政権、夫婦別姓、同性婚、外国移民の受け入れ、原発等について、左派も右派も意見が各々の立場にばらけているのなら、「無意味になってい」ると言えるでしょう。しかし、それらの問題について、両派は依然意見がおおよそ二分しています。冷戦が終わってからずいぶん経ちますが、やはり、進歩主義派と保守主義派とのイデオロギー的相違は、厳然として存在すると判断せざるをえません。
では、現在はどのようなイデオロギーが並立している時代なのでしょうか。「左翼としてのリベラル」でも述べましたが、冷戦時代から今日へ、イデオロギー対立は社会・共産主義対資本・自由主義から、リベラル(+社会・共産主義)対保守へ移行しているのだと思います。