E・ルトワック氏の「韓国が反日の理由」

1.韓国・オランダ・スウェーデン

月刊『Hanada』12月号に、米戦略国際問題研究所上級顧問エドワード・ルトワック氏の「韓国よ、歴史の真実を学べ」という記事が掲載されています。
そこで、ルトワック氏は述べています。

「若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである」(37頁)
戦時中、「オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎しみ続けることになった」(38頁)

「戦後、たとえば一九五三年頃になると、ヨーロッパの多くの国ではドイツをすでに許していたが、スウェーデンはオランダと同じように、超がつくほどの反ドイツ感情を保持していた。
戦時中、彼らはオランダ人と同じように臆病者で、ナチスに協力していた」(40頁)
「戦時中にドイツに協力的だった国こそ、本当に反ドイツ的な態度をとるようになる」(40頁)

「一九四五年までの朝鮮半島で、実は抵抗運動(レジスタンス)と呼べるようなものはほとんど発生していない。朝鮮人たちは概して服従的だったのだ。
むしろ多くの人々は、服従以上の態度で自発的に日本に協力し、日本軍に積極的に志願したのである」(37頁)
故に、「韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的トラウマに悩まされている」(38頁)

一方、戦後「ユーゴの人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
その理由は、ドイツ人がユーゴ人を殺し、ユーゴ側もドイツ人を大勢殺したからだ。彼らは決して臆病者ではなく、立ち上がり、戦ったのである。誰も自分たちの父を恥じることもなく、誇りを持てた。だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである」(37頁)

ルトワック氏の主張を敷衍するなら、戦時中アメリカ人は日本人を殺し、日本側もアメリカ人を大勢殺したから、戦後日本人はアメリカに対して友好的になれたということでしょう。
米軍と良く戦った愛国的日本人が戦後親米になり(戦勝国史観には批判的でしたが)、反戦や社会主義思想のゆえに投獄され、そこで温温と過ごした「臆病者」が戦後反米反日的な左翼になったのでしょう。なるほど、平仄が合います。

ついでに述べるなら、戦後の保守派は親米になりましたが、「反米保守」などという人たちは、冷戦中左翼やノンポリだったりして、(意識の上であれ)左翼とちゃんと戦わなかったから、その後ろめたさのゆえに、左翼とたたかった親米保守派に烈しい対抗意識を持つのでしょう。
冷戦時代に左翼でもノンポリであった訳もなく、左翼と言論でたたかった人で、冷戦後親米保守を批判した人を、私は一人も知りません。
結局のところ、反米保守派はニッポン・ネオコン(転向保守)なのです。彼らは、社会・共産主義者、リベラルとは別の、左翼の一分派なのです。

2.北朝鮮と韓国

ルトワック氏は、現在の北朝鮮と韓国についても語っています。

「われわれが認めなければならないのは、北朝鮮の核兵器は、中国からの自立と存続を保証しているということだ。(中略)北朝鮮の核が中国からの自立と存続を保証している以上、北朝鮮がこれを手放す可能性は非常に低い」(34頁)

戦前の日本が日清、日露戦争をたたかわざるをえなかったのは、そして韓国を併合せざるをえなかったのは、安全保障の点から朝鮮半島を支那やロシアに渡すわけにはいかなかったからでしょう。

ところで、現在北朝鮮はどこの国の脅威のゆえに核兵器の開発と保有を進めているのでしょうか。
ルトワック氏が言うように、第一は支那でしょう。以下は私見ですが、第二は同じく陸続きのロシア、第三がアメリカで、第四、五が韓日ではないでしょうか。北朝鮮は核兵器を保有することによって、わが国の防波堤になってくれている面もあるのです。

一方、「韓国はもはや米国や日本と過去に結んでいた関係に戻らないことが明白になった。彼らに中国に抵抗する意思はなく、一方的に従属しつつある」(41頁)

北朝鮮の金正恩委員長は梯子をかけて、トランプ大統領の耳元で囁いたのかもしれません。「わが国の核は貴国に向けたものではなく、支那に向けたものである」とかなんとか。

「中国に抵抗する意思」がある北朝鮮と、ない韓国と。
トランプ氏が文在寅大統領よりも、金正恩氏をより信頼しているように見えるのは、そのせいもあるように思います。

なぜ共産主義者は東側へ亡命しなかったのか

<以下はよもぎねさんのブログ記事「ベルリンの壁崩壊30周年記念に寄せて」への私のコメントです>

なぜ西(南)側の共産主義者たちは、東(北)側へ亡命しなかったのでしょうか。

1.ロシアも中国も人民自らが社会主義革命を成し遂げた。
2.我々も自らの手で、人民を解放しなければならない。
3.東からの亡命者は資本主義の文化・生活に憧れた反革命(裏切り者)である。
4.それでも、資本主義社会よりも、現存の社会主義社会の方が増しである。
5.西側で革命が起きれば、反革命分子は逃げ場を失う。
6.マルクス主義によれば、社会主義革命は先進国で起きるはずだった。しかし、実際は後進国で発生した。そのため、社会主義建設も難産だった(失敗も多かった)。
7.我々が行う革命は、ロシアや中国よりももっとより良き社会を作り上げることができるに違いない。

西側の共産主義者にとって、資本主義社会はそれほど居心地が悪くなかったのでしょう。そして、自分たちが天下を取ったら、さらにそれ以上の良き社会が実現できると信じていた、のではないかと。

公的な芸術祭で表現の自由はどこまで認められるべきか

1.トリカエナハーレ展の意義

10月27日、名古屋市で「芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」が開催されました。
そこで展示されたのはライダイハン像や、「ルンルン楽しい日韓断交」「犯罪者はいつも韓国人」と書かれたかるたなどだそうです。

これは言うまでもなく、「平和の少女像」という名の朝鮮人慰安婦美化像や昭和天皇の肖像を燃やす展示があったあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に対抗して開かれたものです。
トリエンナーレの方が左派偏向の展示(左派が喜ぶ内容)だったとすれば、トリカエナハーレの方は右派偏向の展示(右派が喜ぶ内容)だったと言えるでしょう。
右派偏好の内容であったとはいえ、左派に「表現の不自由展・その後」の政治的偏りを気づかせ、あるいは政治的無関心層に、左派の二重基準を認識させることになった点は評価したいと思います。
トリカエナハーレ展の展示内容を聞いて、左派は一時的に豆鉄砲を食らったハトのような表情になったに違いありません。

2.頑迷な左翼

大村愛知県知事は、トリカエナハーレ展の「展示内容がヘイトスピーチ(差別煽動表現)に『明確に当たる』と指摘した。施設側(県施設「ウィルあいち」)が当日に催しを中止させなかった対応を『不適切だった』と述べた」(10月30日付朝日新聞)とのことです。

しかし、ネットを見ると、トリエンナーレに表現の自由が認められるのなら、トリカエナハーレにそれが認められないのはおかしいとの意見が多数でした。前者は可で、後者は不可というのは明らかにダブル・スタンダードです。

大村知事は、トリカエナハーレの展示はヘイトに「明確に当たる」と述べていますが、ヘイトスピーチの、現行の定義はともかく、公序良俗(「国家社会の秩序と善良の風俗と」『広辞苑』第二版)に反するという点で、トリエンナーレもトリカエナハーレも同類です。だから、<トリエンナーレは可、トリカエナハーレは不可>に対して、異議ありの声が挙がるのです。

大村知事をも含めて左派(注)は、<ある作品が表現の自由に反するかどうかは私たちが決める。そして、私たちの判断は絶対に正しい。私たちがアウトだと見なす作品には表現の自由は認めない>と言っているのと同じです。
表現の自由に関するセーフとアウトの線引きが恣意的かつ自己都合的過ぎるのです。
要するに、彼らは自由主義者ではなく、全体主義者なのです。

(注)
大村知事が以前自民党の代議士だったこともあって、氏は左派ではないという人もあるかもしれません。が、自民党は保守とリベラルの混成政党です。そして、自民党のリベラル政治家が、歴史教科書問題では近隣諸国条項を許し、あるいは慰安婦問題では河野談話を発したのです。
自民党の代議士であったことは、保守派であることの証明にはなりません。

3.両者とも可か、両者とも不可か

ネットではトリエンナーレが可なら、トリカエナハーレも可であって当然だとの意見が多数表明されましたが、では、公的な、税金が投入された芸術祭や美術館(以下、芸術祭等)において、今後両者とも平等に展示が認められるべきでしょうか。

トリエンナーレの展示も、トリカエナハーレの展示も、何れも芸術に名を借りた政治です。それらは、政治イデオロギーの表出以外の何物でもありません。
自民党主催による政治的作品展が、あるいは共産党主導による作品展が、公的な芸術祭等で行われるのが許可されてはならないのと同様に、トリエンナーレの表現の不自由展も、トリカエナハーレの表現の自由展も、認められてはなりません。
余りにも政治的に偏った「作品」は、公的な芸術祭等から排除すべきです。

もっとも、政治的作品といっても、かつての社会主義リアリズムやファシズム・軍国主義リアリズム(?)に基づいた作品を、愚行の歴史的作品(中には良品もあったでしょうが)として展示するのは、あり、でしょう。
数十年後、「表現の不自由展・その後」が、私たちの時代の愚行として、芸術監督の顔写真付で展示されるのは、それはそれとして意味があることかもしれません。

【おすすめ記事です】
あいちトリカエナハーレとヘイトスピーチと表現の自由

小田和正氏の「良い曲とは」

朝日新聞は本紙とは別に、毎週土曜日には12頁余りの「be」という二部紙が挟まれています。その頭に「フロント・ランナー」というコーナーがあって、毎回時代の先端を走っているとされる人が紹介されています。

10月19日に登場したのは、「アーチスト」の小田和正氏でした。小田氏は、言うまでもなく、音楽バンド「オフコース」(1989年に解散したそうです)のメンバーです。

そこで、記者の「『良い曲』とは?」という質問に、小田氏は答えています。
「『シンプルで飽きない』っていう一言かもしれない。永遠の答えのない問いではないでしょうか」

私が音楽を聴くのは、休日にオンボロ車でドライブに出かける時か、夜ビールを飲み終わる頃です。
ついこの間までは、中学高校の同級生シュウちゃんがくれたオフコースの二枚組CD”All Time Best”ばかりを聴いていました。DISC1の中では「秋の気配」が、DISC2では「君住む街へ」が一番好きです。
オフコースの曲は、不思議に飽きません。なので、ずいぶん長持ちしました。

逆に、名曲だけれども直ぐに飽きてしまうという曲もあります。
ファンに叱られそうですが、いくつか挙げるなら、モーツァルトの交響曲第四十番ト短調の第一楽章やアイネ・クライネ・ナハトムジーク、ポール・マッカトニーの「イエスタデイ」、サザンオールスターズの「いとしのエリー」とかです。

ベートーベンのピアノ協奏曲第五番変ホ長調「皇帝」の第一楽章は誰もが一度は聴いたことがあるでしょうが、やはり退屈名曲で、むしろ第二楽章の方がいい。
飽きやすい曲と飽きにくい曲の違いはどこにあるのでしょうか。

作家の曽野綾子さんはどこかで書いていました。モーツァルトは退屈だという意味のことを。それは正直な言です。私もそう思います。
とは言っても、やはりモーツァルトは偉大な作曲家で、私は彼のピアノ協奏曲第二十一番ハ長調の第二楽章が、彼の曲では一番好きです。

「シンプルで飽きない」というのが、名作の最も重要な条件の一つであるのは、音楽のみならず、文章の分野に関してもあてはまることだろうと思います。

【追記】
オフコースの後、今は『X JAPAN BEST ~FAN’S SELECTION~』を聴いています。「ENDLESS RAIN」と「Forever Love」が飽きにくい曲ですね。

米中対決時代にロシアはいかに振舞うか

1.米中対決時代

中華人民共和国のGDPは2010年に日本を抜き、現在米国に次いでどうどうの世界第二位です。2030年か2050年には、米国を抜き去るとの予想もあります。
また、「世界の軍事力ランキング」では、米露に次ぐ第三位です。
経済的、軍事的に力をつけた中共が自信を持つのは当然でしょう。

中共が目指しているのは、世界における米中の二極化、そして、将来的には米国の追い落としだろうと思います。

そのような中共の台頭に対して、さすがに米国も危機感を抱くようになり、副大統領ペンス氏による昨年10月4日の演説以来、中共の覇権国化を阻止しようとの意図が明確になりました。

2.ロシアと中共の蜜月?

このような情勢下で、以下のようなことが起こっています。

2018年9月、ロシア軍は軍事演習「ボストーク2018」を実施しましたが、そこに初めて中共軍が参加しましたし、今年の6月6日、ロシアにとって大した脅威ではないのに、プーチン大統領は普天間飛行場の辺野古移設について、「地元住民や知事が反対しているのに建設が進んでいる」と発言し、中共の援護射撃をしましたし、7月23日日本海でロシアと中共の爆撃機四機が合同飛行を行いました。

これ以外にも、ロシアと中共の親密さを示す事例はあるでしょう。
近年ロシアは中共寄りの姿勢を見せていますが、これは露中が固い絆で結ばれていることを意味するでしょうか。

意味しません。
近隣国同士、表面的には仲良くしているように見えるものの、実際は仲が悪い、あるいは反りが合わないという例はままあります。
ベトナムと支那、支那とインド、インドとパキスタン、そして、日本と韓国、日本と支那など。それと同様、ロシアと支那も基本的には反りが合わない国同士であるのは否定しがたいでしょう。

一方の中共はロシアの核戦力を含めた軍事力を脅威に感じているでしょうし、他方のロシアは極東における同国の人口の希薄と中共の人口の膨大のため、後者による人口侵略を警戒しているでしょう。

3.ある仮定

ある極端な仮定をしてみると、ロシアと中共の「蜜月」の度合いが明確になると思います。

もし米国と中共の間で戦争になった場合、ロシアはどう対処するでしょうか。最近の連携通り中共の側に立って、米国とその同盟国・友好国と戦うでしょうか。

戦うわけがありません。
ロシアは負ける側につくような選択はしないでしょう。十中八、九以上の確率で、ロシアは米国側に寝返るだろうと思います。反りが合わない中共と心中するはずがありません。

第二次世界大戦の前、ドイツと不可侵条約を結び、同国とポーランド分割を行ったロシアのことです。あるいは、終戦間際の1945年8月9日、日ソ中立宣言を破って日本に攻め込んできたロシアのことです。
米中戦争が起これば、ちゃっかり米国側に寝返って、中共の領土のいくばくかを掠め取ると予想するのが自然でしょう。

逆に考えるなら、ロシアと中共が蜜月を演出している間は、米中戦争の可能性は低いだろうと思います。
なので、私は、ロシアと中共の連携はあまり心配しておりません。それはどこまでいっても、蜜月ではなく蜜月の演出にすぎないのですから。

もっとも、「十中八、九以上の確率」と書きましたが、わずかに露中が組めば米欧日他に勝てると考える冒険主義者が現れないとも限りません。
そこで、万全を期すために、トランプ氏も安倍氏もロシアを自分たちの陣営に引き寄せようとしているのではないでしょうか。

米欧日露対中なら、さすがに中共の首脳だって、勝てるかもしれないとは考えないでしょうから、戦争の可能性は限りなくゼロ%に近くなります。

4.もっと寄こせ

では、ロシアと中共はなぜ連携しているのでしょうか。
両者とも味方が少なくて孤独だからでしょう。
中共は覇権国化を目指して、米国の反発を買っていますし、ロシアはクリミア、セバストポリの併合で欧米から経済制裁を喰らっていて、いまだに解除されていません。
要するに、敵の敵は味方ということで、結びついているだけでしょう。彼らは強者グループ(米国及び同盟国・友好国)に対する弱者連合です。

ロシアが強者グループに対して暗に求めているのは、経済制裁の解除を含めて、「もっと寄こせば、そっちよりの姿勢を示すよ」ではないでしょうか。

そもそもウクライナも、クリミアも、セバストポリも、元来はロシアの勢力圏です。
そこを巡って、欧州はロシアと本気で事を構える勇気と能力があるのでしょうか。ただアメリカの威を借りて、強がっているだけではないでしょうか。ロシアに対する経済制裁もほどほどにすべきだと思います。

むしろ対中を意識して、ロシアを取り込もうとしているトランプ大統領や安倍首相の方が大局が見えているのではないでしょうか。
もっとも、欧州にとっては、中共の脅威よりも、ロシアの脅威の方が切実だから仕方がないのかもしれませんが。

【追記】
「中共」と「支那」を使い分けています。
共産化している支那が中共で、共産化していないのが支那です。中共が支那になれば、凶暴性がかなり和らぐと思うのですが。それは、希望的観測でしょうか。

左翼的表現の自由展・今後

1.総括

あいちトリエンナーレ2019は8月1日開幕し、10月14日閉幕しました。
とりわけ話題になったのは企画展の「表現の不自由展・その後」です。朝鮮人慰安婦美化像や昭和天皇の肖像を焼いた「作品」などが展示されました。
そのため、8月1日にスタートするや、たちまち抗議の電話やメールが殺到し、同月3日早くも中止になりました。その後、スッタモンダの挙句、入場者数を大幅に制限することによって、10月8日再開され、14日の閉幕に無事こぎ着けました。

このたびの「表現の不自由展・その後」を総括するなら、最初は左翼的表現の自由展で始まり、途中の大部分は左翼的表現の不自由展を余儀なくされ、最後は入場の不自由展で締め括ったと言えるでしょう。

左翼偏向全開の「表現の不自由展・その後」は、本来なら開催されるべきではありませんでした。しかし一方、開催されたら開催されたで、数多くの人たちがそれを見ることによって、その政治的偏向と異様さに気づくのも、日本にとって有意義なことだったでしょう。

ところが、再開後入場者の制限が行われたため、市井の人がその異常さに気づくことができないまま終了してしまいました。残念でした。
多くの抗議の電話やメールにも拘らず、曲がりなりにも閉幕までこぎ着けたことは、左翼の成功体験の一つになったに違いありません。

2.表現の自由の問題ではない

表現の不自由展は、東京でも大阪でもその他どこの都市でも、しかるべき場所を借りて、有志が自己資金で開催することはできます。また、それを国家権力なり右翼なりが中止させたわけでもありません。
なので、このたびの問題は、表現の自由の侵害にも、検閲にも当たりません。

むしろ、表現の不自由展の出し物の政治的偏りから判断するなら、主催者は右派の表現の自由を阻み、あるいは右派的作品を「検閲」によってパージしたと考えるのが自然でしょう。

3.公立の部門に、左翼的表現の自由を

今回の表現の不自由展の性格を最も的確に示しているのは、芸術監督津田大介氏の次の発言です。曰く、

「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(8月4日付朝日新聞)

右派が「物議を醸す企画を公立の部門でやること」は許されてはならないが、左派の場合は許されるべきだ、ということでしょう。要するに、「公立の部門」において、左翼的表現の自由を特権的に認めよ!と要求しているのです。

4.今後

今回の表現の不自由展を契機として、芸術祭や美術館の左翼偏向的展示に対する、良識ある市民のチェック機能が働くようになるでしょうか。それとも、再び入場制限という措置をとることによって、左翼はごり押しを続けるのでしょうか。

不十分とはいえ、検定制度があるので、さすがに歴史教科書の口絵に、たとえば、朝鮮人慰安婦美化像の写真が採用されることはないでしょう。が、今後何らかの検定基準なり、検定制度なりを作り、左右にかかわらず政治的に偏向した作品を公的な芸術祭や美術館から排除するようにすべきではないでしょうか。

【津田大介氏はかく語りき】
トリエンナーレ閉幕後の記者会見で、津田大介氏は語ったそうです。

「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指していた」(注)

左翼偏向の芸術祭を批判し、正道に戻そうと考えた右派こそ、「大きくマイナスになっていたものをプラスマイナスゼロに戻すことを目指してい」ましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。
泣く子と左翼のズルさにはなかなか勝てません。

(注)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20727

唯物史観の最大の批判者

1.学習会

冷戦が終了してから、約三十年が経ちました。
冷戦時代には、学校で、あるいは職場で、マルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』や、エンゲルスの『空想から科学へ』が学習会のテキストとして使われ、多くの人たちが読み、あるいは少なからぬ人たちが、理想に胸を躍らせたことでしょう。

2.唯物史観と左翼

冷戦の後期から、ソ連や中共、北朝鮮の政治的経済的行き詰まりが明確になり、冷戦後にかけて、社会・共産主義者たちが戦線を離脱して行きました。

「唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、われわれがマルクスに負うところである。社会主義はこの発見によって一つの科学となった」(『空想より科学へ』、大内兵衛訳、岩波文庫)(太字、原文は傍点)

学習会に参加し、社会主義の正しさを信じた人たちは、たとえば唯物史観について、今どのように考えているのでしょうか。
たぶん唯物史観の問題点を理解しないまま社会主義者になり、理解しないまま社会主義を棄てたのではないでしょうか。

3.カール・ポパー

マルクスは、『経済学批判』の「序言」に書いています。

「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的及び政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激に変革される。(中略)ある個人がなんであるかをその個人が自分自身をなんと考えているかによって判断しないのと同様に、このような変革の時期をその時期の意識から判断することはできないのであって、むしろこの意識を物質的生活の諸矛盾から、社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならない。一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない。(中略)ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である」(杉本俊朗訳、大月文庫、15-17頁)

唯物史観の最大の批判者はカール・ポパー(1902-1994)ではないでしょうか。
彼は、論文「科学 一推測と論駁」において、フロイトの精神分析学、アドラーの「個別心理学」と共にマルクスの歴史理論を批判しています。何れも科学(理論)ではなく、反証不可能な(反証可能性が低い)擬似科学だと。
ポパーの反証の原理(原理的に反証可能であり、なおかつ今のところ反証されていない仮説が、暫定的に科学的だと承認されるにすぎないと考える)こそ、唯物史観の最大の批判理論でしょう。彼の「この発見」によって、唯物史観は擬似科学になりました。

4.福田恒存

では、日本における唯物史観に対する最大の批判者は誰かと問われれば、私は福田恒存氏を挙げたいと思います。
氏は「論争のすすめ」という論文を、次のように書き始めています。

「私は學者ではない。一人の文士に過ぎない。しかし、あるいはそれだからこそ、日本の社會科學やその學者の在り方が、もちろんすべてとは言はぬ、その大部分について言へば、甚だ歪んでをり間違つてゐることを痛感する。それらは科學ではない。彼らは學者ではない。唯物史觀によると、ある時代の文化、つまり『上部構造』はその下部構造である經濟的條件によつて決定されるさうである。私が學者ではないと輕蔑する日本の學者は、大抵が唯物史觀の信奉者である」

そして、論敵の「言葉の使ひ方の誤り」を論った後、述べています。

「意識の歪みは存在の歪みによつて決定される前に、まづ言葉の誤用から始まる」(『論争のすすめ』、新潮社、70頁)

さすが、文学者らしい指摘で、この文言を読んだ時、左翼よりも福田氏の方が一枚も二枚も上手だというのが分かりました。

【追記】
福田氏の「論争のすすめ」の楽しい箇所を一部引きます。

「たとへば、向坂逸郎氏の論文などを讀んでみるがよい。この辨證法の大家に、ディアレクティックなどはどこにもないのだ。少々極端に言へば、全文證明未濟の、あるいは證明不能の言葉の千鳥足行進曲に過ぎない」(同上、85頁)

「小英雄」としてのグレタ・トゥンベリさん

1.小英雄

ジョージ・オーウェルは『1984年』(新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV)に書いています。

「あのような子供たちを抱えていたのでは、あのみじめな婦人も恐怖の一生を送らなければなるまいと彼は思った。あと一年か二年、子供たちは昼夜の別なく母親に異端の徴候がないものかどうか監視を続けるに違いない。(中略)三十歳以上の人たちにとって、自分の子供たちにおびえるのはほとんど日常茶飯事になっていた。それもその筈でザ・タイムス紙が毎週ほとんど欠かさず、盗み聞きする小さな密告者が一一般的に”小英雄”という言葉で呼ばれていたわけだが一何か危険な話を立ち聞きして両親を思想警察に告発したという記事を掲載していたからである」(35頁)

オーウェルのは小説ですが、彼が偉大なのは、その後共産主義社会で起こったたことを的中させたからです。

全体主義社会では、政府を陰で批判する親を、その子供が告発するようなことが起こります。そして、そのような子供が社会で「小英雄」だとして賞賛されたりします。

2.16歳の環境活動家

自身の親は告発しないものの、親や祖父母世代に対する告発をしている、9月23日ニューヨークの国連本部で行われた気候行動サミットでのグレタ・トゥンベリさんの演説する姿を見れば(私はテレビを見ない主義者なので、新聞でしか見ていませんが)、小英雄という言葉が頭をよぎるのは自然でしょう。
若干16歳にして「環境活動家」だという(笑)。

3.あやつり人形

地球温暖化の問題は、大人の科学者でさえ見解が割れていると思います。彼女は16歳にして、この問題に通暁しているのでしょうか。

本来なら、この問題についてろくに知らない子供よりも、十分な知識を持った大人が静かに語るべきです。しかし、大人が語ってもインパクトがありませんし、この問題が注目されません。そこで、急進主義者の策士が子供をダシに、話題性を狙ったのでしょう。

4.二種類の人たち

トゥンベリさんの演説を見た人たちの反応は、二種類に分かれると思います。

第一の人たちは、いかなる思想的・政治的立場であろうと、あのように子供が演説する姿を見て、おぞましいと考える人たち。はっきり言えば、正気を保っている人たちです。
先に、「若干16歳にして『環境活動家』だという(笑)」と書きましたが、笑うべき、というよりも嗤うべきことだと考える人たちです。

第二の人たちは、自分とは違った思想的立場の場合であればおぞましいと考えるけれども、同じ立場なら素晴らしいと、拍手と喝采を送る人たちです。
彼らは、左右の全体主義者の素質がある人たちです。

戦前は戦意高揚記事を、戦後は一転社会主義寄りの記事を読者に強いた、全体主義に親和的な朝日新聞は、9月25日付の社説「気候サミット 若者の怒りを受け止めよ」に書いています。

「今回のサミットでスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16歳)は『若者はあなたたちの裏切りに気づき始めている。もし私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない』と各国代表に訴えた。
グレタさんら12カ国の少年少女16人は『気候危機は子どもたちの権利の危機だ』と、国連子どもの権利委員会に救済を申し立てた。サミット直前には160カ国以上で400万人を超す若者の一斉デモがあった。こうした若者たちの怒りを重く受け止めねばならない」

朝日新聞的な人たちは、ある時代にはヒトラー・ユーゲントたちの「怒りを重く受け止め」、別の時代には紅衛兵たちの「怒りを重く受け止め」てきた人たちです。

5.いつか来た道

とりわけ二十世紀は、小英雄に拍手・喝采を送るような人たちに、引き摺られた時代でした。

彼らを信用しない第一の人たちが社会の多数派なら心配ないのですが、第二のタイプの人たちは、マスメディアを中心に意外に影響力のあるところにいるので侮れません。

小英雄に拍手・喝采を送る第二の人たちの言うことを信じていると、山本夏彦氏ではありませんが、とんでもない所に案内されて、驚くことになります。

リベラルは左翼である

目次
1.リベラルは左翼ではない?

2.そもそも左派・右派とは

3.左派・右派は時代・国によって異なる

4.フランス革命期にも左派右派は変動した

5.その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分ける

6.リベラルは進歩主義者である

7.リベラルは自由主義者か

8.現在はどのような勢力で半々か

1.リベラルは左翼ではない?

1989年のベルリンの壁崩落、そして1991年のソ連邦解体により、一応冷戦は終結しました。それから、早くも約三十年が経過しました。

左翼の多数派にして主流派は、いまや社会・共産主義者ではなくリベラルであると私は考えますが、一方でリベラルは左翼ではないという人たちもいます。
どちらが正しいのでしょうか。少なくともどちらの主張が現実の世界をうまく説明できているでしょうか。

リベラルは左翼ではないという人たちによれば、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは自由主義者のことだから、後者は左翼ではないということであるらしい。
どうもリベラルというものを誤解しているようですし、左翼(左派)・右翼(右派)というものを、固定的に考えているようです。

2.そもそも左派・右派とは

左翼(左派)・右翼(右派)という言葉は、フランス革命期の議会において、議長席から見て左側に進歩派が、右側に保守派が席を占めたことに由来します。
それ以来、進歩主義的立場を左派・左翼、保守主義的立場を右派・右翼と呼んでいます。

3.左派・右派は時代・国によって異なる

左派・右派の区別は相対的・便宜的であって、時代・国によって異なります。

イギリスの二大政党制は、トーリー党対ホイッグ党で始まりました。各々がその後党名を変更して、保守党対自由党の時代になりました。
さらに時代が下がって、労働党が生まれ、同党が自由党の地盤・票を食って(自由党が退潮、労働党が伸長)、保守党対労働党の二大政党制になり、今日に至っています。

保守党対自由党の時代は、保守党が右派であり、自由党が左派でした。もっとも、ウィキペディアによれば、イギリスで「左翼・右翼」の用語が使用されたのは、労働党が第三勢力として登場した1906年の総選挙からとのことですが。
一方、保守党対労働党の時代は、相変わらず保守党は右派ですが、労働党が左派です。時代によって左派は変遷しました。
勿論、左派の変遷に応じて、右派も変化をします。右派が同じ保守党であっても、左派が自由党の時代と労働党の時代とでは、右派の主張内容も同じではありません。
そして、後者の時代にあっては、弱小化した自由党は中間派であっても、もはや左派ではありません。

同様に、フランス革命時代の左派と、冷戦時代の左派は同じではありません。後者の時代の左派の主流はマルクス主義者でした。
一方、フランス革命期(1789-1799)、まだマルクス(1818-1883)は生まれていません。だから、その時代の左派はマルクス主義者ではありません。要するに、左派も右派も時代・国によって変動します。
ということは、冷戦時代の左派と、冷戦後の、今日の左派が同じでなくても不思議ではないということです。

4.フランス革命期にも左派右派は変動した

先に述べたように、左派(左翼)・右派(右翼)という言葉が生まれたのはフランス革命期です。
一般的にフランス革命期とは、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃から(1787年との説もあり)、1799年11月9日のナポレオン・ボナパルトによるクー・デターまでを指します。その十年余りの短い期間にも左派、右派に相当する勢力は変化をしました。

【釈明】
フランス革命期の党派に関しては、著者や論者が曖昧な言葉を用いているため(たとえば、「王党派」や「民主派」)、理解が困難になっています。

フランス革命期の議会は、
A.国民議会<憲法制定国民議会も含む>(1789・6・17-1791・9・30)
B.立法議会(1791・10・1-1792・9・20)
そして、国民公会と推移しましたし(1792・9・20-1795・11・2)、
国民公会も三期に分けられます。
C.(1792・9・20-1793・6・2)
D.(1793・6・2-1794・7・27)
E.(1794・7・27-1795・11・2)
その後、
F.総裁政府(1795・11・2-1799・11・10)を経て、ナポレオンによるブリュメールのクー・デターに至ります。

各々の時期に、誰が左派で、誰が右派だったでしょうか。

A.最初の国民議会では、絶対王政派が右派でした。それより左にジャコバン右派(立憲君主派)が、さらに左に同左派がいました。

B.1791年9月に立憲君主制の憲法が制定されたので、絶対王政派がはじき出され、立法議会では、旧ジャコバンの立憲君主派であるフイヤン派が右派、ジャコバン共和派が左派になりました。

C.国王ルイ16世が国外脱出をはかったヴァレンヌ逃亡事件、そして外国との戦争における、国王の敵国との内通の発覚もあり、民衆の国王に対する信頼が失われました。国民公会は共和国宣言を行い、王制は廃止されます。
そのため、国民公会では、立憲君主派がいなくなり、皆共和派です。ここではジャコバン派の中のジロンド派が右派で、同モンターニュ派が左派です。

D.1793年6月2日、ジロンド派が追放され、モンターニュ派が独裁権を握り、恐怖政治が始まります。
同派のロベスピエールが左派のエベール派や右派のダントン派を粛清して、恐怖政治が強化されました。

E.1794年7月27日、ロベスピエールの恐怖政治を嫌う人たちの思惑が一致して、彼とその一派を逮捕・処刑し、国民公会の穏健派が実権を掌握し、恐怖政治が終わります(テルミドールのクー・デター)。
モンターニュ派の独裁の終わりによって、ジロンド派などの旧右派が復活しました。

F.国民公会が解散し、総裁政府が成立しました。総裁政府が行政を、五百人会と元老会が立法を担い、権力分立がなされたので、つまり、独裁ではないので、議会では右(王党派)から左(モンターニュ派)まで並存していました。

5.その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分ける

左派と右派の区分を考える上で、あまり指摘されませんが、その時代・国の勢力分布(中央・地方議会であれ、国民全体の思想的立場であれ)をおおよそ真ん中で分ける(=議長席から見て)、という点を外すことはできません。真ん中で分けるから、そこを中心としての左派、右派なのですから(二大政党制・党派でない場合は、左派、右派とは別に中間派がいたりします。実際、フランス革命期には左派と右派とは別に、常に中間派がいました)。

わが国で社会・共産主義に該当する政党といえば、日本共産党と社民党でしょう。両党の現在の支持率はどのくらいでしょうか。
時事通信社の「【図解・政治】政党支持率の推移」によれば、今年9月の時点で共産党は2.0%、社民党は0.5%です。合わせて2.5%ですが、少し多めに見積もって、わが国における社会・共産主義者は3%ということにしましょう。

さて、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは左翼ではないという人たちの主張に従うなら、3%が左派で、残りの97%は右派だということになります。

なるほど97%が右派なのだから、左派と右派の区分は無意味になったという暢気な人が現れるのも無理はありません。

それなら、現在は左派が殆んどいない、右派だらけの時代なのでしょうか。3%の社会・共産主義者のみが左派で、保守のみならずリベラルも右派なのでしょうか。
確かに3%の人たちから見れば、そう思えるかもしれません。しかし、97%の内の、半分から右側の人たちから見れば、実感として違っています。3%のみならず、97%の内の、半分から左側の人たちだって十分左派に見えます。
実際今年7月の参議院議員選挙では、3%と左側半分の人たちとの間で野党共闘が行われました。彼らは32の一人区に統一候補を立てました。

その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分けるという点を見失ってはいけません。
<3%が左派、97%が右派>なのではありません。左右は常におおよそ50%対50%もしくは40%対60%(順不同)なのです(注)。3%は、左派50%の内の、最左派なのです。
では、左派のうち、3%は社会・共産主義者だとして、彼らを除いた47%の人たちは、どのような思想傾向の人たちなのでしょうか?

(注)
左派と右派の間には中間派がいたりしますが、「議長席から見て」なので、敢えて彼らを左派系と右派系に分けて考えます。

6.リベラルは進歩主義者である

一歩譲って、仮に3%の人たちのみが進歩主義者で、97%の人たちが保守主義者であるのなら、左翼とは社会・共産主義者のことで、リベラルは左翼ではないとの主張にも、いくらか説得力があるかもしれません。では、リベラルは保守主義者なのでしょうか。社会・共産主義者だけが進歩主義者なのでしょうか。

進歩主義者は永遠です。プロ野球の巨人軍よりも不滅です。進歩主義者が世の中からいなくなることはありません。彼らは社会に一定の割合でいます。進歩主義者は一つの新思想が破綻したら、次の新思想に乗り換えます。時々殻を替えるヤドカリのようなものです。

冷戦時代から今日へ。多くの進歩主義者は社会・共産主義からリベラルへ思想的衣替えをしました(日本社会党の消滅)。すんなりと。その屈託のなさが、衣替え前後の思想的振幅の小ささを表しています。
すなわち、社会・共産主義者のみならず、リベラルも進歩主義者なのです。

7.リベラルは自由主義者か

一般的にリベラリズムとは自由主義のことであり、リベラルとは自由主義者のことだと考えられています。しかし、いわゆるリベラルは自由主義者なのでしょうか。そもそも自由主義者とは、どのような思想的立場、態度をとる人たちなのでしょうか。

自由主義者であるか否かは、自分とは異なった意見を表明する権利を認めるか否かにあります。ヴォルテールの有名な言葉を引くなら、「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」人たちのことです。

全体主義体制にも、スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成などの独裁者と同じことを言う自由はありました。では、そのような体制は自由主義体制なのでしょうか。勿論違います。
自分の主張とは違う意見の生存権を認めないのが、場合によっては異見を主張する人の生存さえ認めないのが、全体主義者であり、全体主義体制です。

ではリベラルは、自分たちとは違った意見を述べることに対して寛容でしょうか。
昨年廃刊になった『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文が世間で話題になりましたが、リベラルはそれに対して猛烈に批判を浴びせました。
彼ら曰く、「差別的な発言に言論の自由はない」。
杉田氏の発言に対して、すべての人が「差別的な発言」だと考えたのだったなら、その主張にも一理あるかもしれません。しかし、彼女の発言は差別に当たらないと主張する人もいました。実際、杉田氏の論文に対するバッシングに抗って、『新潮45』10月号は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を行いました。

リベラル派が言っているのは、<私が「差別的発言」だと見做す意見には、言論の自由は認めない>ということです。そして、<ある発言が差別的であるかどうかは私が決める。そして、私の判断は絶対に正しい>と言っているに等しい。
他者の意見の表明に不寛容であるばかりか、自分の判断の無謬を前提にしています。

彼らが目指しているのは、「一人残らず同一の思想を持ち、同一のスローガンを叫びながら絶え間なく労働し、戦い、凱歌をあげ、異端者を迫害する国家」(ジョージ・オーウェル著、『1984年』、新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV、95頁)なのではないでしょうか。。
このような思想傾向の人たちが、自由主義者でありうるでしょうか。

もう一つ例を挙げましょう。
台湾は自由で民主的な、人権や法の支配が守られている国です。一方、中共は自由でも民主的でもなく、人権も法の支配も守られていない、共産党一党支配の独裁国家です。
そして、中共は、台湾は自国の領土の不可分の一部であるとして、軍事的制圧の時機を窺っています。
もしリベラルが自由主義者なら、台湾に同情的であって当然です。しかし、彼らは、とりわけわが国のリベラルは、殆んどが中共派なのです!
ついでに述べるなら、もしわが国のリベラルが自由主義者なら、つまり、リベラルも保守も自由主義者で、全体主義者の要求を突っぱねるような硬骨漢だったなら、たとえばパソコンで「支那」と入力するのに、わざわざ「支」と「那」を別々に入力しなければならないようなことになっていないでしょう。

リベラルを字義通りに解すれば自由主義者ですが、異見に対する態度、中共と台湾に対する態度を見れば、彼らはとても自由主義者だとは言えません。

進歩主義者がリベラルを名乗っているため、自由主義者だと多くの人たちは誤解するのです。そして、そのような誤解があるから、「そもそもリベラルとは」などと論じたりして、現実のリベラルがそれと一致しないのを非難することになるのです。
名称と実体は別物です。たとえば支那軍は、正式名称は中国人民解放軍ですが、実体は支那人民抑圧軍もしくは支那周辺人民侵略軍です。
リベラルは、実質的には自由主義者ではありません。進歩主義者なのです。

自由主義者の中の<左派がリベラル、右派が保守>なのではありません。進歩主義者の中の<穏健派がリベラルで、急進派が社会・共産主義者>なのです。

8.現在はどのような勢力で半々か

中央・地方議会において、あるいは国民全体の政治思想において、現在はどのような勢力、思想的立場でおおよそ半々でしょうか。
リベラルと保守でしかありえないと思います(だから、保守二党論はナンセンスです)。
そして、進歩的な側を左派(左翼)と呼び、保守的な側を右派(保守)()と呼びます。
すなわち、リベラルは左派(左翼)です。

ジャコバン派もしくはモンターニュ派は左翼のフランス革命的形態であり、社会・共産主義は左翼の冷戦的形態であり、リベラルは左翼の今日的形態です。
リベラルは左翼ではないという人たちは、左派右派の区分を、超時代的な基準だと誤解しているのだと思います。

冷戦から今日へ。
左派右派は、イギリスの二大政党制が時代とは逆方向に進行したようなものだと考えれば分かり易いのではないでしょうか。保守党と労働党の対決の時代から、保守党対自由党の時代へ逆戻りしたようなものだと。

冷戦後、社会・共産主義政党が消滅あるいは衰退し、多くの社会主義者がリベラルへ転向して、左右の対立が社会・共産主義対自由主義から、自由主義左派(リベラル)対自由主義右派(保守)へ移行したのだと。
もっとも、前節で述べたように、リベラルは自由主義者モドキにすぎないのですが。

フランス革命期にギロチンで処刑されたロラン夫人(1754・5・17-1793・11・8)は嘆きました。「ああ自由よ、いったいお前の名でどれだけの罪が犯されたことか」。
私たちも嘆かざるをえません。
ああ自由を騙るリベラルよ、いったいお前たちの偽称でどれだけの罪が犯されていることか。

(注)
ここが「右翼」ではなく「保守」である理由は、「右派・保守・右翼・極右」を参照のこと。

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左翼としてのリベラル

左派の言論・表現は、もっと自由である

1.公的部門における

8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は同月3日中止になりました。展示物に対する抗議の電話やメールが押し寄せ、安全に続けられない恐れが出たためらしい。
この展示について、左派は表現の自由を守れと訴えています。

しかし、芸術監督津田大介氏が「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた」(8月4日付朝日新聞)と述べているのでも分かりますが、この度の事例は、「公立の部門で」なされたから問題なのであって、私立の部門ないし民間でなされたのなら問題はありません。すなわち、表現の自由云々の問題ではなく、税金が投入されている芸術祭に、それらの展示物は相応しいかという問題です。

もし右派が、左派が激怒するような展示品を集めて「表現の不自由展」を「公立の部門でや」ったのだとしたら、先の人たちはその場合も、表現の自由を守れと叫んだでしょうか?

今回の表現の不自由展が、左翼主導のものだったから、曲がりなりにも開催にこぎ着けられたのであって、もし右派によるものだったなら、計画の段階で発覚し、マスメディアで叩かれて、事前に潰されていたでしょう。

「表現の不自由展」は、「左翼的表現の自由展」に改めた方がいいと思います。

2.私的部門(民間)における

「表現の不自由展・その後」は、東京であれ、大阪であれ、名古屋であれ有志が画廊などを借りて開催することはできます。すなわち、現在の日本では、表現の自由は保障されています。
もしそれが、たとえば右翼によって妨害されたのなら一大事で、その時こそ、表現の自由を守れと訴えるべきでしょう。

ところで、問題なのは、左派は私的部門(民間)においてなされる言論に対してでさえ、平然と妨害行動を起こすことです。
昨年杉田水脈議員の論文が掲載された『新潮45』を廃刊に追い込みましたし、今月「韓国なんて要らない」という特集を組んだ『週刊ポスト』に対して、言論封殺的な言動を行いました。
『新潮45』にしろ『週刊ポスト』にしろ、私企業による私的活動であり、税金は注がれていません。民間部門に対する妨害こそ、言論や表現の自由の危機です。

3.言論で勝てなければ、裁判があるさ

左派の特徴の一つは、言論で勝てない場合は、裁判に持ち込むことです。

元朝日新聞記者植村隆氏は、名誉を傷つけられたとして、西岡力氏と文藝春秋を訴えていますし、朝日新聞は小川榮太郎氏と飛鳥新社を訴えています。
植村氏は6月の地裁の判決後の記者会見で、「ひるむことなく言論人として闘いを続けていきたい」と述べていますし、朝日新聞は天下の大言論機関のはずです。
どうして両者とも言論で戦おうとしないのでしょうか。
恐らく、言論では勝ち目がないから、裁判に持ち込むのでしょう。そして、裁判沙汰にして、相手が根を上げるのを期待しているのでしょう。

4.左派のダブル・スタンダード

左派であれ右派であれ、たとえ自分の気に入らないものであっても、言論や表現の自由を認めるべきです。

ところが左派は、自分たちの思想に適う言論や表現は、公的な部門であっても社会に強制して当然と考え、ゴリ押しし、それが批判されるや言論や表現の自由を盾に擁護する一方、自分たちの思想に反する、右派的な言論や表現に対しては、私的な部門であっても、差別やヘイトのレッテルを貼って葬り去ろうとします。
左派の二重基準は甚だしい。

5.『動物農場』的

ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読めば、左翼(全体主義者)は変わらないなあと納得させられます。

荘園農場から人間ジョーンズ氏を追い出した動物たちは、彼らだけの農場を作りました。
そこで決められた七戒のうちの七番目は、次のようなものでした。

「すべての動物は平等である」

ところが、その後動物の中の豚が特権階級化し、ある日七戒が一つになっていました。

「すべての動物は平等である。
しかし、ある動物は、ほかのものよりも
もっと平等である」

「ある動物」とは勿論豚のことです。豚の特権階級化を正当化するものに変わっていたのです。
私たちの時代に、左派がモットーとしていて、しかも実践しているのは、次のような「戒律」です。

「すべての言論・表現は自由である。
しかし、左派のそれは、右派のものよりも
もっと自由である」

これを例証する事件はこれまでも起こったし、これからも起こるでしょう。このような言論状況は、当分の間続きます。

【折々の迷言】
「加害者は脅迫者だ。なのに被害者である芸術祭に補助金を出さず、表現の自由を窒息させる。敵を誤った文化庁」(9・27朝日新聞「素粒子」)

加害者は芸術祭で左翼的表現をゴリ押しする愛知県知事と主催者。被害者は納税者。表現の自由の濫用に一矢を報いた文化庁。