反省・謝罪と左翼

歴史認識に関する左翼の紋切型に、次のようなものがあります。

かつて西洋先進国はアジア・アフリカその他を侵略し、植民地支配を行ったけれども、それを謝らない。だからと言って、戦前日本がアジア、とりわけ韓国に対して行った植民地支配を謝らなくて良いということにはならない。たとえ西洋諸国が謝罪しなくても、日本はちゃんと謝罪すべきである

というのです。
一見もっともな主張ですが、ではそう言うご当人は、自己の過失について、相手に対してちゃんと謝っているのでしょうか?

冷戦時代、資本主義は何れ社会主義に取って代わられると多くの人たちが信じていました。その時代、社会・共産主義者は、未来は自分たちに味方していると、意気揚々でした。
彼らは、社会主義の旗を振り、いまだその旗の下に集まらない者、それを支持しない者に対し、社会主義体制の優位や必然性を説き、あるいは組織に誘い、組織を抜けたいと言えば、脅しまたは爪はじきにしました。
一方、社会・共産主義の反対者に対しては、右翼、反動、資本主義の走狗(手先)のレッテルを貼り、彼らの言論を左傾化した主流派メディアから閉め出しました。

しかし、その後社会主義の盟主ソ連は解体し、中共や北朝鮮の政治的・経済的行き詰まりも明らかになり、そして、冷戦は終了しました。

今日、冷戦の終結から三十年経ちましたが、冷戦時代社会・共産主義者だった人で、冷戦後その過ちを表明した人が何人いるでしょうか。社会主義に同調しないが故に他者を批判、心理的に傷つけ、あるいはたとえば、学生運動などで、機動隊員に石を投げ、彼らを身体的に傷つけた人たちのうち、誰がそれを謝罪したでしょうか。

西洋諸国がアジア・アフリカを侵略したことを謝らないからといって、日本がアジアに対する侵略を謝らなくても良いことにはならないという左翼の主張が正しいのなら、他の社会・共産主義者だった人たちが、冷戦後反省を表明しないからと言って、あなたが!謝らなくても良いということにはならないということになりませんか?

歴史問題で、政府や右派が反省や謝罪をしないと非難するよりも、自らがまず冷戦時代におかした過ちを反省し、謝罪の手本を示したら良いと思います。

ところが、左翼は殆んど誰も、反省も謝罪もしません。なぜでしょうか。
<他人の過失を責めるは易し、自分の過失を認めるは難し>だからです。
戦前日本の「侵略」は、左翼=反日派にとって他人事です。だから、容易に謝罪の要求ができるし、その態度が居丈高になるのです。一方、自分の過失は、自身のことだから反省も謝罪もできないのです。

ある左翼が個人的な問題で過失をおかしたとしましょう。彼は素直に、反省の姿勢を示すでしょうか。示さないでしょう。
なぜちゃんと反省や謝罪をしないのかと詰ったら、彼は何と言うでしょうか。
たぶん、次のように言うでしょう。
「お前(皆)だって、同じようなことをやっているじゃないか」

植民地支配は当時の主な先進国がやっていたことです。それはいわば、当時のグローバル・スタンダードでした。そのような行為を、私たちが現在の価値観で道徳的に断罪するのは無意味です。
そんな無意味なことをする暇があるのなら、現在進行形で行われていて、しかも今日の価値観から見ても不当な侵略を非難すべきです。

中共が行っているチベットやウイグルに対する植民地支配、東シナ海や南シナ海での侵略、台湾に対する威嚇、それらに対し、抗議をすべきです。
ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、1985年の演説で述べました。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」
しかし、現実は逆です。現在の不正に気がつく者だって、過去の不正に気がつくとは限りません。が、現在の不正に気がつかない者が、過去の不正にだけは気がつくということなどありえません。
だから、むしろこう言うべきでしょう。
「現在に目を閉ざす者は、過去を語る(批判する)資格がない」

左翼は、戦前の先人たちの行為を云々するよりも、まず自分自身の過失を問題にすべきです。第一、冷戦時代に自分がおかした罪と、第二、現在の中共の侵略等を見て見ぬふりをしている罪とです。
戦前日本の過失を論うのはそれからにすべきです。

私自身は、戦前のわが国の行為を反省や謝罪するのは無意味だと思いますが、一歩譲って、西洋諸国が謝罪しなくても、日本は謝罪する必要があるとしましょう。
それなら、今後左翼が手本を見せてくれるであろう、二つの過失に対する見事な謝罪っぷりを見せて貰ってから、それを参考に戦前の行為の反省や謝罪を考えたら良いと思います。

もし、左翼が反省も謝罪もしなかったなら?
戦前の日本の行為に対して、反省も謝罪もする必要がないことを、彼らが身をもって示してくれたと解釈すれば良いのだと思います(笑)。

【追記】
左翼とは、20世紀の左翼=社会・共産主義者と21世紀の左翼=リベラルのことです。

ご先祖様を利用することなかれ

8月13日付朝日新聞「声」欄に、下記の投稿が掲載されました。

核禁条約の批准 被爆国日本こそ

地方公務員 H・M (千葉県 44)

「今年も広島、長崎の「原爆の日」を迎えた。日本の被爆から既に75年を経たが、いまだに核兵器が核兵器がなくなる気配は全くない。それどころか世界は、核兵器を保有する一部の国によって寡頭支配されている。
唯一の戦争被爆国である我々は、核兵器自体を禁止する条約を忘れていないだろうか。核兵器の製造や保有などを禁じる「核兵器禁止条約」。国連で3年前、122カ国の賛成で採択された。50カ国の批准という発効要件を満たすのは目前である。
この条約に日本の政権が調印しなかったのはもちろん残念だが、調印運動を盛り上げなかったメディアにも失望した。新型コロナでの自粛要請時のように、強調した報道を見せれば、日本も参加していたのではないかとさえ思う。
日本は戦争被爆国でありながら、核兵器を禁止する条約に参加していない。しかも冷戦後もなお、日本に原爆を落とした世界有数の核兵器保有国と、軍事的要素が強い日米安全保障条約を結び続け、「核の傘」に依存していると見える。
お盆に入り、戦争で亡くなった方の霊も戻ってくる。私たちは、ご先祖様に顔向けができるだろうか」

この人には、戦前のご先祖様は、現在の私たちとは全く異なるパラダイムの中にあったであろうという想像力が欠如しています。

ご先祖様は、戦争に勝って欲しかったのです。
アメリカよりも先に、日本が核兵器の開発に成功していたら良かったのに、と残念に思っていることでしょう。
そして、核兵器によって戦争に勝利していたら、今頃はきっと核兵器禁止条約に参加しろとは言わなかったはずです(笑)。

【追記】
お前の意見だって、ご先祖様の利用ではないかと言われたら、否定できませんが。

韓国の反日 原因は日本の善政

韓国併合における大日本帝国の統治は、韓国自身の政府によるそれよりも良かった。

その間産業も発展しましたし、人口も増えましたし、教育も普及しました。

そのような不都合な真実を、韓国民は薄々感じているのではないでしょうか。

そして、感じているけれども、表立って認めることができない。

格下の日本が、格上の韓国に善政を施したはずがない。

そのような心理的屈折が、韓国の反日=逆ギレとなって表れているのだと思います。

【追記1】
一方、台湾は自分たちの方が、日本よりも格上だとは考えていなかった。
旧植民地は旧宗主国に対して親しみの感情を持つ傾向がある、というのは不思議ではありますが、台湾の日本に対する意識も、そのようなものだろうと思われます。

【追記2】
<韓国の反日 もう一つの原因>については、「E・ルトワック氏の『韓国が反日の理由』」に書きました。

日韓どちらが加害者でどちらが被害者か

1.玉川徹氏の発言

日本と韓国の間には、歴史問題を巡って、認識の相違とそれを原因とする軋轢があるのは周知の事実です。
昨年9月11日に放送されたテレビ朝日系の番組で、コメンテーターの玉川徹氏は発言したそうです。

「加害と被害の関係があった場合には、被害者が納得するまで謝るしかないと思います。そういう態度をドイツは取っています」(1)

「被害者が納得するまで」と言いますが、どういう要件を満たせば、被害者たる韓国が「納得」したことになるのでしょうか。
韓国民の過半数が承認すれば良いのでしょうか、あるいは殆ど全ての同国人が承認しなければならないのでしょうか、それとも別の要件があるのでしょうか。

日本の謝罪に対して、韓国人のほほ全てが納得するようなことはあるでしょうか。そんなことはありえないでしょう。そして、そのような中で、同国人の殆どが納得するまで謝るしかないのだとしたら、日本は永久に韓国に謝罪する必要があるということになります。
永久に謝罪を要求する韓国と、謝罪を求められる日本と。そのような関係の二国が和解することは、永遠に不可能でしょう。

ではなぜ玉川氏は、「加害と被害の関係があった場合には、被害者が納得するまで謝るしかない」などと言うのでしょうか。
両国の和解を望んでいないから、と解釈するのが自然でしょう。
氏は、日韓の和解を妨害しているのです。

2.日韓のどちらが被害者か

国際関係で「加害と被害の関係があった場合には」、各々の国民の賛否の多寡に拘わらず、政府が承認すれば「納得」したことになります。

「国際法では戦争や支配など不幸な過去は条約や協定で清算し、その後は内政不干渉で歴史認識は外交に持ち出さないのが原則だ」(2)

日本と韓国の間で1965年日韓基本条約と日韓請求権協定が結ばれ、後者には日韓双方の請求権の問題は「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」との文言があります。
ということは、被害者たる韓国は納得したということです。

1965年は、終戦から二十年後のことで、当時日本が韓国を併合していた訳ではありませんし、後者は独立国でした。そして、日韓基本条約はアメリカが公然と調停工作を行ったとのことですし、ということは米国の監視もあったということです。

むしろ基本条約や請求権協定が結ばれた後で、しかも何十年も経ってから問題が蒸し返された場合、蒸し返した側が加害者であり、蒸し返された側は被害者なのです。
いわゆる徴用工、そして慰安婦の問題は、韓国が加害者で、日本は被害者なのです。

玉川氏の論理に従うなら、被害者たる日本が納得するまで韓国は謝るしかない、ということになります。

(1)https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1545180/
(2)西岡力、『Hanada』、2019年3月号、46-7頁

どうして韓国併合を反省しなければいけないの

1.先進国の植民地支配

古代ギリシアやローマには奴隷制度がありました。では、現在のギリシア国民やイタリア政府はそれを反省すべきでしょうか。
奴隷制は当時の常識であり、二千年あるいはそれ以上前のことを反省するのは無意味です。

さて、私たち日本人はかつての植民地支配、たとえば1910年からの韓国併合を反省すべきでしょうか。
ほんの百十年ほど前のことだとはいえ、その当時の先進国は皆植民地を持っていました。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、ロシア、アメリカ然りです。
それが世界標準でした。

2.アジア・アフリカ諸国の独立はほんの数十年前のこと

大東亜戦争の結果、多くのアジア諸国は先進国の植民地支配を脱し、独立しました。
一方、アフリカ諸国が独立したのは、もう少し後でした。かの国々が競って独立した1960年は「アフリカの年」と呼ばれていますが、それはわずか六十年ほど前のことです。

3.無意味な反省

ほんの七十五年前や六十年前には、先進国による植民地支配は当たり前のことだったのです。その時代に当然とされていたことを、今日の私たちが道義的に非難することに何の意味があるでしょうか。

私たちが韓国併合を反省するのは無意味です。
そんな無意味なことをする暇があるのなら、現在の私たちがやっていて、しかも百年後、千年後の人たちから道徳的に責められるような、そのような行為を改めた方が良いと思います。
そうすれば、私たちは後世の人たちからきっと称賛されるに違いありません。

けれども、百年後、千年後の人たちが、どのような価値基準を持っているのか、私たちには知りえません。現在の私たちの行為のうち、どのようなそれが後世の人たちから道義的に指弾されるのかは分かりません。

だから、今の私たちが、千年前、百年前の人たちを倫理的に非難することだって無意味なのです。

道徳の不遡及の原則のすすめ

1.法の不遡及の原則とは

法の不遡及の原則というのがあります。
ウィキペディアから引用しましょう。

「法令は施行と同時にその効力を発揮するが、原則として将来に向かって適用され法令施行後の出来事に限り効力が及ぶのであり、過去の出来事には適用されない。これを法令不遡及の原則という」(1)

もっと分りやすい説明を引きます。

「新たに制定された法律(事後法)は、その制定以前にさかのぼって適用してはならない、という原則。法律不遡及(そきゅう)の原則ともいう」(2)

日本国憲法にも、当然その規定があります。

「第三九条 【刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止】
何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任は問われない、又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」

この原則は、文明国であればあるほど厳格に実施され、非文明国であればあるほど、法的な規定がないか、あっても反故にされていることでしょう。

2.道徳の不遡及の原則とは

文明国では、法の不遡及の原則は確立されています。逆に言うなら、それが確立されていない国は文明国ではありません。
そして、文明国では、それに加えて、道徳(倫理)の不遡及の原則というものも確立される必要があるでしょう。

道徳の不遡及の原則とは、次のようなものです。
何人も、実行の時に倫理に反すると見做されなかった行為については、道義的な責任は問われない、言い換えるなら、社会通念上、その時代に非道徳的だとされていなかった行為または制度を、後の時代に生まれた価値観に基づいて道義的に非難してはならない、という原則です。
現在の価値観によって、過去を裁いてはなりません。

たとえば、それが不当だとは考えられていなかった時代の戦争や、大国の小国に対する侵略や吸収合併。それが当たり前だと考えられていた時代の奴隷制、大航海時代以来の西洋諸国による中南米、アフリカ、アジアに対する植民地支配。

たとえ今日から見て、過去に行われていたことが如何に非道徳的あるいは理不尽に思われるにしても、過去の問題はその時代の道徳観によってのみ評価すべきです。現代の私たちが、現在の倫理観に基づいて、過去を断罪してはなりません。

奴隷制が当然だった時代、ある偉大な思想家がそれを道徳的に非難する発言を行っていたとしても、それは彼に先見の明があったことを意味するだけで、世間の大勢は蒙昧主義の中にあった訳ですから、偉人の視点でもって、現在の私たちが過去の行為や制度を非難することはできません。

3.なぜ道徳の不遡及の原則が必要なのか

では、なぜ道徳の不遡及の原則が確立される必要があるのでしょうか。
この原則を無視することによって、国内的および国際的な紛争が、最悪の場合には流血の事態の発生が予想されるからです。

(1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A
(2)https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8B%E5%BE%8C%E6%B3%95%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2-73110

日韓和解のためには何が必要か

韓国併合について、わが国の反日派と韓国は、相変わらず反省せよ、謝罪せよと言い募っています。

2010年5月10日に行われたという「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」には、次のような文言があります。

「私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、『韓国併合条約』をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である」

上の記述で分かりますが、この共同声明に署名した知識人、のみならずわが国の反日派も、韓国もある前提に立っています。

第一。一つの正しい歴史認識というものがあると信じていること。
第二。その歴史認識を、日韓両国民に、とりわけ日本国民に強制するのは、日韓の「和解と協力のため」に必要であると信じていること、です。
彼らは、両国の歴史認識の共有は可能であるし、共有を実現しなければならないと考えています。

第一、「一つの正しい歴史認識」というものは、あるのでしょうか。
終戦直後にわが国で首相を務めた吉田茂にしろ、六十年安保の時に首相だった岸信介にしろ、在任中の評判は散々でした。が、その後評価は引っ繰り返りました。現在の安倍晋三首相だって、将来は不世出の総理大臣と評されることになるでしょう。

一方の韓国ではどうでしょうか。
ウィキペディアの「大統領(大韓民国)」の項には、次のような記述があります。

「韓国の歴代大統領は、在任中に糾弾を受けて亡命を余儀なくされるか暗殺されたり、退任後に自身や身内が刑事手続きによって逮捕・収監・起訴の上で有罪判決を受けたり、不正追及を苦に自殺をしたりして、不幸な末路を迎える例が極めて多い」

韓国で大統領制が始まったのは戦後です。もう古代や中世のような野蛮な時代ではないはずなのに、歴代大統領に関する評価が、在任初期と退任後で一変しています。現在の文在寅大統領より前の、向こう三代の大統領朴槿恵、李明博、盧武鉉の各氏でさえ、そうです。
このような国とわが国との間に、固定的な、歴史上の「共同の認識」を求めることができるのでしょうか。

甲申政変を主導した金玉均や韓国併合条約の時に韓国側総理大臣だった李完用に対する評価は、現在の韓国では一般的に芳しくないようですが、中には彼らを評価する人もありますし、伊藤博文を暗殺した安重根だって今後の評価は分かりません。

すなわち、日本のみならず韓国においても、ある人物なり事件なりの歴史認識及び評価は時代によって変動しえます。
一つの正しい歴史認識というものはありません。

第二、「一つの正しい歴史認識」という仮構を日本国民に強要するのは合理的な行為でしょうか。
「共同の認識」は、今現在の反日派等が正しいと信じている「事実」にすぎません。将来、新たな事実が発見されたり、新しい見方が生まれたりする可能性はあります。そうすると、それは「かつて正しいとされた歴史認識」ということになるでしょう。

ある時代に日韓両国が「共同の認識を確認」したとしましょう。すると次のようなことが起こりえます。
Aという時代にはaという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Bという時代にはbという歴史が正しいとされ、両国の間でそれに基づいて「共同の認識を確認」することが行われ、Cという時代にはcという・・・・。
正しい歴史認識というものを強制される日本国民からすれば、どれが本当に正しい歴史なのかと反問したくなるのは当然です。

この声明では「共通の歴史認識」という表現も使われていますが、そもそも、それを追求しようとするから、両国の認識の相違が明確になって、それが原因となって、両者の対立が発生、あるいは拡大するのです。最初からそれを求めなければ、つまり、所詮歴史の共有など無理だと悟れば、両者の間に対立は生じません。
日本にしろ韓国にしろ、自国内の歴史学者や国民の間でさえ歴史認識の共有ができないのです。だから、両国間でそれを行おうとすること自体が無理なのです。勿論日本にも韓国にも歴史教科書はありますが、それは現在正しいとされている学説に基づいて記述されているだけの、「一つの正しい、かのような歴史認識」にすぎません。

「一つの正しい宗教(宗派、神)」というものがあり、それを他者に強制するのは正当であると考えるから、宗教戦争が起こるのです。
「一つの正しい○」という観念を卒業することによって、他者の宗教に寛容になることによって、十七世紀のヨーロッパに平和がおとずれたのです。

日韓の間に、「一つの正しい歴史認識」というものがあり、それを、とりわけわが国民に強要するのは正しいと考える人たちは、ウェストファリア条約(1648年)以前の思考の中にあるのだと思います。

高坂正堯氏は『国際政治』(中公新書)の中で、「国際社会にはいくつもの正義がある」(19頁)と書きましたが、各々の国における歴史認識及び評価は時代によって変わりうるし、歴史にはいくつもの真実がある、と理解すべきです。それが平和への道です。

日本と韓国の和解のためには何が必要でしょうか。
第一。歴史の共有など求めないこと。

日韓基本条約及び同請求権協定が結ばれたのは戦後二十年が経過した1965年です。当然韓国は独立国でした。だから、
第二。独立国同士で結ばれた条約は遵守すべきこと。

この二つを守ることによってのみ、両国は友好関係を築きえます。この二つを認めない限り、日本と韓国の間の不仲は永遠に続くでしょう。

歴史教科書の偏向を正す最も簡単な方法

1945年大東亜戦争に敗れ、わが国は連合国から占領憲法と共に、戦勝国史観を押し付けられました。
また戦後、共産圏の拡大及び自由諸国における共産主義イデオロギーの流行もあって、左翼史観がはびこりました。
今日、戦勝国史観と左翼史観がないまぜになった反日史観が幅を利かせ、それに基ずく歴史教科書によって、義務教育が行われています。

1997年西尾幹二氏を会長とする「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、教科書の正常化が試みられました。しかし、作られた教科書の採択率が低かったり、つくる会の内紛もあったりして、教科書の偏向は正されていません。

偏向教科書を、いくらかでも是正する方策はないのでしょうか。
あります。

まず、歴史教科書の内の、ほんの1ページか2ページを、歴史に関する名言に割きます。たとえば、以下のようなものが、列記されます。

名言集および格言集」から引用するなら、

「まったく歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪・愚行・不運の登記簿にほかならない」(ギボン「ローマ帝国衰亡史」)

「歴史はくり返す」(ツキュディデス「歴史」)

「歴史は自由な国においてのみ真実に書かれうる」(ヴォルテール「フリードリヒ大王への書簡ー1739/4/27」)

歴史の名言ー名言のウェブ石碑」からも引用しましょう。

「過去の破壊はおそらく最大の犯罪である」(シモーヌ・ヴェイユ)

「われわれが歴史から学ぶのは、われわれが歴史から学んでいないことである」(ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル)

その他にも教科書に相応しい名言はあるでしょうし、以上はいずれも教科書に採用されても良いし、されなくても良いでしょう。
しかし、次の文句は外せません。

歴史は勝者によって書かれる

これは普遍的な真実を言い当てています。また、少数派救済イデオロギーを掲げる勢力(リベラル派のこと)が力を増せば、彼らの思想に沿った内容に変更されますし、そのような思想に基ずいて書かれる歴史についても、これは当てはまるでしょう。

この名言一つの掲載で、歴史教科書の九割以上の偏向が正されたことになります。
学生たちはこれを知ることによって、教科書に記述されていることを絶対視しなくなりますし、歴史を自ら考えるきっかけになるでしょう。
もっとも、それは型通りの思考(戦勝国史観や左翼史観)しかできない先生方にとっては、面白くないことかもしれませんが。

「歴史は勝者によって書かれる」、は「名言集および格言集」によれば、ウインストン・チャーチルの言葉とされていますし、ジョージ・オーウェルも同じ意味のことを書いています。また、「歴史の名言ー名言のウェブ石碑」によれば、ナポレオン・ボナパルトの言だという。真理だから、これまでも歴史上の人物が語ってきたし、これからも語るでしょう。
ただ、アメリカのルーズベルトやソ連のスターリンと並んで、第二次世界大戦における連合国側の巨頭であったチャーチルの言葉とした方が、説得力もインパクト(強い影響)もあるでしょう。

歴史教科書を一年間で教えるのは無理で、近現代史までたどり着けないとの教師の嘆きが聞かれますが、微々たる歴史的事実よりも、この名言を教える方が、よほど学生の思考を鍛えることができるし、教育効果も高いと思います。

もう一つ、次のような名言?を採用するのも良いかもしれません。

「敗者(敗戦国)の歴史は、勝者(戦勝国)に追従する敗者の中の裏切り者によって書かれる」

もう一つの歴史修正主義

1.名称の変更

1937年7月7日盧溝橋事件から始まった中華民国と日本との事変は、当初北支事変と名付けられ、同年9月2日の閣議決定により、支那事変に改められました。
この事変は、事変にも拘らず、現在は日中戦争と呼ばれています。

1941年12月7日、ハワイの真珠湾を日本が攻撃をして始まった戦争は、大本営政府連絡会議によって、支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称されることになりました。
ところが、戦後GHQがそれを禁じ、太平洋戦争に変えさせ、今日もそれが先の大戦の名称の標準になっています。一方、左翼は近年アジア・太平洋戦争という呼称(ウィキペディアによれば、1980年代に提唱されたとのことですが)を使用しています。

2.なぜ名称を変えるのか

左翼、あるいは反日派は、どうして戦争及びそれに関する事象の名称の変更に熱心なのでしょうか。
それは、変更前の呼称自体やそれが表現する戦争観に同意できないからでしょう。また、戦時中の人たちとは違って、自分たちはその結果(勝敗や推移)を知っているし、当時の人たちよりも、戦争の実相が良く分かっているとの慢心があるためでしょう。
だから、彼らは平気で戦争等の名称を変更しようとするのです。

3.終わりなき変更

ところで、先の大戦について、現在の学者がもっとも良く知っているでしょうか。
将来新しい資料や視点が発見されたりするかもしれません。とするなら、現在の歴史学者よりも百年後の、百年後よりも二百年後の、二百年後よりも三百年後の学者の方が、事変や戦争の実相をより理解しているかもしれません。三百年後の左翼学者が、現在の左翼学者の呼称を否定することだってありえます。そして、さらに三百年後の学者の説を五百年後の学者が否定・・・・。そんなことをやっていれば、半永久的に歴史的名称を変更していかなければならなくなります。あるいは、千年後やはり数百年前の呼称の方が正しかったということになるかもしれません(笑)。

それに、将来新しい歴史的事件が発生しえます。
現在中共は、アメリカに追いつき、追い抜こうとしています。一方、アメリカはそのような中共の覇権国化を阻止しようとしています。数十年後、その米支間で戦争が始まり、両国軍がアジアで、あるいは太平洋で戦い、戦後国際社会でその戦争がアジア・太平洋戦争と呼ばれることになるかもしれません。そうなったら、現在のわが国の左翼学者のアジア・太平洋戦争なる呼称はどうなるのでしょうか。

4.当時の名称を優先

 

余りにも古い時代、たとえば縄文時代や弥生時代の人たちは、自分たちの時代をそのように呼んでいません。というよりも、自分たちの時代をどのような言葉で表現するかという発想自体なかったでしょう。だから、そのような時代の名称は後世の人が決めるしかありません。
しかし、支那事変や大東亜戦争の時代の人たちは、自ら呼称を決め、それを使用しました。またそれは当時の人たちが出来事をどのように見て、どのように考えたかが表現されています。
私たちは原則として、当時使用されていた名称を使うようにすべきです。後世の者たちは、歴史的事件・事実の名称を、捏造すべきではありません(捏造例:アジア・太平洋戦争、日中戦争、従軍慰安婦)。

5.もう一つの歴史修正主義

名称の変更は、一種の歴史修正主義です。
歴史教条主義者(前大戦は、連合国=善、日本=悪と信じる戦勝国史観・東京裁判史観論者)たちは、それを変更することによって、自ら歴史修正主義を体現しています。自分たちの史的教条を守るために、新しい語を造っているのです。
歴史教条主義者は、別種の歴史修正主義者です。
彼らは、お前たちは歴史修正主義者だと右派を非難しながら、自らは歴史修正主義を実践しています。

6.歴史教条主義否定論

戦後七十年以上も経つのに、いまだに世界は、第二次大戦は連合国=善、同盟国=悪との歴史観が大手を振るっています。旧連合諸国の数が圧倒的に多いからでしょう。

第二次大戦は民主主義対独裁主義の戦いだったとされています。しかし、連合国側のソ連も中華民国も民主主義国ではありませんでした。その戦争観自体が嘘です。
同大戦は、帝国主義国同士が偶然二手に分かれて、権益をかけてたたかった戦争にすぎません。どちら側が善で、どちら側が悪というようなことはありません。
同盟国は、弱かったから負けただけです。

<戦争の善悪と勝敗は無関係>だと、賢人がいくら語っても聞く耳をもたない人が多い。

7.歴史教条主義の打破

戦勝国史観を疑っている右派の人たちは、<連合国=善、同盟国=悪>を逆転して(歴史修正して)、<連合国=悪、同盟国=善>としたい訳ではありません。
連合国と同盟国は、双方の言い分は五分五分です。一歩譲って、六分四分です。いくら譲っても七分三分で、同盟国にも三分の理はあると言いたいだけです。

連合国はドイツによるユダヤ民族虐殺を戦争の正当性に利用しています。しかし、ユダヤ民族の虐殺がなかったら、はたして同盟国に対する連合国の道徳的優位は証明しうるのでしょうか?アジア、アフリカを散々侵略していた連合諸国が、日独の侵略を非難できるのでしょうか。

戦勝国史観は絶対に正しい、とするには無理があります。
それは時間がかかろうとも、何れ打ち破るべきものだと考えます。

 

ドイツは和解できているか

戦後ドイツの反省」に書きました。

「第二次世界大戦以前の国家の行為に対し、ドイツは真摯に反省したから近隣諸国と和解できているのに比べて、日本は心から謝罪しないから、韓支との関係がいまだにギクシャクしていると非難されます。しかし、はたしてドイツは本当に反省しているのでしょうか」

戦後ドイツは、イスラエルと、あるいはフランスやポーランドと和解したとされています。後者とは、共通の歴史教科書を作成したそうです。
しかし、はたしてドイツは本当に近隣諸国と和解できているのでしょうか。

今年1月31日にイギリスは欧州連合(EU)から脱退しましたが、同国を含めたEUの人口ランキングによれば、1位ドイツ、2位イギリス、3位フランスです。また、同GDPランキングでは、やはり1位ドイツ、2位イギリス、3位フランスです。ドイツは明らかにEU第一の大国です。
ところが、英仏は共に核兵器保有国であるのに対して、ドイツは非保有国です。

ある人は言っています。

「東京裁判と同じく、ドイツにも連合国軍によるニュルンベルグ裁判はありました。しかしそれ以外に、ドイツ人は自ら国家が生み出した罪に向き合い、謝罪と補償を繰り返し、関係国との和解に最大限の努力をしてきました。そして、今、欧州の堂々たるリーダーとなっています」(過ちを認められない日本がドイツの謝罪に学ぶこと)

ドイツが「欧州の堂々たるリーダー」であるなら、核兵器保有国であってもおかしくありません。では、同国が核保有を求めたとして、欧州はそれを認めるでしょうか。認めるわけがありません。
なぜでしょうか。

欧州諸国は、ドイツを心の底から信用していないからです。いつかまた暴れるかもしれないとの懸念を抱いている。表面上、和解できている、ということになっているだけでしょう。だから、彼らはドイツの核保有を認めないのです。

欧州がドイツの核保有を認めた時、同国が近隣諸国と真に和解できた時だろうと思います。

イギリスが離脱することによって、EUでは核保有国はフランス一国になりました。もちろん、北大西洋条約機構(NATO)によって欧州諸国はアメリカ及びイギリスと軍事同盟を結んでいます。が、米国そして英国が余所の地域の問題に手を取られている時、EUはフランスの核だけで外敵からの脅威に対処できるでしょうか。

将来ロシアなり、かつてのオスマン帝国のような中東なりからの脅威に欧州がさらされ、それに対して、ドイツが中心となって、あるいはフランスその他と協力して外敵からの脅威を排除しえた時、ようやく近隣諸国はドイツを本当に信頼する=真の和解が成立することになるのだと思います。