池澤夏樹氏の、7月3日の「終わりと始まり」を読んで

作家の池澤夏樹氏は朝日新聞で「終わりと始まり」と題する連載を行っています。7月3日付の「映画『主戦場』 慰安婦語る口調 言葉より雄弁」で書いています。

「すべての試合の観戦はおもしろい。映画『主戦場』の場合はサッカーや囲碁ではなく、論戦。
従軍慰安婦というテーマを巡って、右軍と左軍双方の論客が登場、それぞれ自説を展開する。
第二次世界大戦の時、朝鮮から多くの女性がアジア各地の戦場に送り出された。あるいは自ら渡った。日本兵たちを相手に性行為をするのが彼女たちの職務だった。これが強制であったか否か、実態はいかなるものだったか、これが議論の軸だ」

池澤氏は「朝鮮から」と書いていますが、第一、慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった。第二、当時の朝鮮は日本であり、朝鮮人慰安婦の募集方法は日本人と同じ、業者が集めた。要するに、日本人慰安婦同様朝鮮人慰安婦も、強制ではなく任意でした。
引用した文章だけで、氏がこの二つの事実を知らない(事実だと認めたくない?)ことがおおよそ分かります。

また、池澤氏は書いています。

「スタッフはアメリカ西海岸まで取材に行っている。カリフォルニア州のグレンデールという町に慰安婦の像が作られた時のこと。あちらにもちゃんと右軍と左軍がいて論戦を展開していた。
グレンデールの元市長が言ったことに蒙を啓かれる思いがした一
『慰安婦問題というのは、若いアジアの少女たちに起こった人権侵害です』
そう、あれを作るのは世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなるのを祈ってのことなのだ」

「慰安婦問題というのは、若いアジアの」、とりわけ一番数が多かった日本人「少女たちに起こったこと」です。もしそれが「人権侵害」に当たるなら、なぜ日本人慰安婦の人権を問題にしないのでしょうか?
日本人慰安婦の人権は侵害しても良いけれども、朝鮮人慰安婦のそれは侵害してはならないということなのでしょうか。それは民族差別ではありませんか。
池澤氏ら左派には、日本人慰安婦は任意、朝鮮人慰安婦は強制との思い込みがあるのでしょう。

「そう、あれを作るのは世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなることを祈ってのことなのだ」
千羽鶴をいくら沢山折っても、戦争も核兵器もなくなりはしません。同様に、「慰安婦の像」をいくら作っても、「世界中すべての地域で戦争による性被害がなくなる」わけではありません。
良い年をした大人なのに、どうしてそのくらいのことが分からないのでしょうか。

「当面の課題は日本の若い人たちの無知と無関心である」
根本的な「課題」は、池澤氏のような若くない人たちの「無知」です。

「(映画『主戦場』を)見終わった方にぼくは朴裕河著『帝国の慰安婦』を読むことをお勧めする」
この回の「終わりと始まり」を読んで、「その通りだ」と思った方に、私は秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』を読むことを「お勧め」したいと思います。

なぜ反日日本人になるのか

1.リトマス試験紙

戦前の時代は、とりわけ大東亜戦争は、わが国にとって不幸な時代でした。
しかし、考えようによっては、その不幸な時代も日本にとっては貴重です。何よりもそれは、反日的日本人と愛国的日本人とを見分けるリトマス試験紙になるからです。

戦前の歴史を「自分のこと」、「自分のもの」と考えることに耐えられない人たちが、反日的日本人になります。

2.日本共産党

戦後七十年以上が経過して、さすがにその神通力は失われましたが、大東亜戦争でのわが国の人的物的被害が大きかったため、<侵略戦争に唯一反対した党>との日本共産党の売り文句も、戦後の長い期間、それなりに国民を惹きつけました。
戦時中戦意高揚のため、愛国を叫ぶ者は沢山いたでしょうが、その被害を考えれば、戦争に反対した党こそが、真の愛国者の政党であったというのが共産党の論理でしょう。

ところで、<侵略戦争に唯一反対した党>にとって、戦前は暗黒であればあるほど、戦争が悲惨であればあるほど好都合です。国家権力の烈しい弾圧に抵抗し、戦争に反対し続けた立派な党ということになるからです。

今日もなお第二次世界大戦に関しては、戦勝国史観が主流で、敗戦国は実態よりも悪く評価されています。つまり、敗戦国の冤罪は幾多あります。そして、それは晴らされないままです。

党勢の拡大のためなら、戦前日本が実態よりも暗黒である方が好都合な政党、そのような政党から、わが国の歴史的冤罪を晴らすような動きが生じるでしょうか。生じる訳がありません。
自国の歴史上の濡れ衣を晴らそうとしない政党が、真の愛国者の政党でありうるでしょうか。

3.左派メディア

メディアの仕事の二本柱は報道と言論です。
正確な報道を本務とし、それと矛盾しない限りで言論を行うべきです。

ところが、わが国の左派メディアは本末が転倒していて、自社の政治的意見を通すのが主で、正確な報道は従になっています。彼らは自社の政治的意見と矛盾しない限りでの報道しか行いません。
なぜ正確な報道が二の次なのでしょうか。本来のジャーナリストよりも、運動家に近いからでしょう。

左派メディアの社員たちは、共通した明確な目的を持って行動しているというよりも、職場の漠然とした、進歩的な空気に従って行動していると思われます。
彼らの考えるおおよその目的は、<戦後平和主義を守る><日本を戦争のできる国にしない><日本を再び軍事大国にしない>のたぐいでしょう。そして、それらの目的の完遂のためなら、事実を曲げることも厭(いと)いません。

目的に不利な情報には「報道しない自由」を行使しますし、つまり、確かでも不利な情報は報じないし、有利な情報は真偽があやふやでも報じます(韓国済州島で慰安婦狩りを行ったという吉田清治虚偽報道はその典型)。要するに、「角度をつけた」報道が為されます。

左派メディアは一応ジャーナリズムではあるけれども、事実より平和が優先!なのです。
もっとも、真の平和ではなく、彼らの考える「平和」にすぎないのですが。そして、その平和のためなら、事実を報じなくても良いと考える。
南京事件や慰安婦問題など、いわゆる歴史認識問題で、左派メディアが正確な報道を行ったことがあるでしょうか?いつも自国にとって有利な、肝腎な事実は報じません。

共産党同様、左派メディアにとっても戦前の日本は、実態よりも暗黒である方が好都合なのです。
たとえ事実でなくても、国民の多数が信じて反省すれば、防衛力・額の増強・増額を阻止できるし、その方が平和に資すると考えるからです。
だから、左派メディアは自国の冤罪を晴らすような報道や言論を行わないのです。

4.反日派と愛国派

歴史的濡れ衣を晴らそうと考えるのが真の愛国者です。
それに対して、党や運動や社論の伸張のために、濡れ衣を温存、あるいは利用しようとするのが、偽りの愛国者、すなわち反日派です。

5.反日派の分裂思考

左派政党の党員にしろ、左派メディアの社員にしろ、自分や家族が冤罪事件に巻き込まれたら、無実を主張するでしょうし、有能な弁護士を雇ったりして、無実を勝ち取るために戦うでしょう。
それなのに、彼らは自国の冤罪に関して、全く戦おうとしません。むしろ、有罪に持ち込もうとして奮闘する。
なぜでしょうか。

自分や家族には愛情を持つけれども、自国には愛情を持たないからです。
それは矛盾であり、そのような思考は異常なのだということに気がつかないから、反日的日本人はいつまでも反日的日本人のままなのです。

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三万人でも三十万人でも同じか

誰が第二次世界(欧州)大戦を始めたか

先日友人に質問をしてみました。
第二次世界大戦の、ヨーロッパの戦争はなぜ始まったのか、どこの国が始めたと思うかと。
ドイツが始めた、同国が近隣諸国を侵略したから始まったとの答えでした。その辺の中学生から、左系新聞やテレビなどのマスコミ従事者まで、大方そんな認識でしょう。

第二次欧州大戦は1939年9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦して始まったのだから、戦争を始めたのは英仏です。

ドイツは近隣諸国を侵略したではないかと言いますが、イギリスやフランスはアジア・アフリカをドイツ以上に、長期的かつ広範囲にわたって侵略していました。
他国家民族を侵略するのがそんなに悪いことなら、英仏はまず自国に対して宣戦布告すべきでした

当時の欧米には、アジアやアフリカは侵略しても良いが、欧州はいけないとの不文律があったとしか考えられません。
どうしてそんな人種差別主義的通念に基ずく歴史観に、私たち日本人が付き合う必要があるのでしょうか。

戦前の先進国は、わが国を含めて皆対外侵略的だったから、今日それを咎めても意味がないのですが、もしドイツがその侵略に対して「有罪」なら英仏も「有罪」、英仏が「無罪」ならドイツも「無罪」です。そして、罪刑法定主義に従うなら、対外侵略に関して、英仏独何れも無罪です。

ドイツが有罪なのは、ユダヤ人を虐殺したからです。それは戦争犯罪ではなく、「戦争中の犯罪」です。
戦争犯罪は連合国も同盟国もおかしています。連合国はニュールンベルグ裁判によって、戦争中の犯罪を戦争犯罪にすり替えました。そして、それによって戦争の印象操作を行いました。
ユダヤ人虐殺がなければ、連合国=善、同盟国=悪という戦争観が成り立たないからです。

では、ある特定の人種・民族を虐殺していない日本は?
言うまでもありません。

慰安婦は女性の人権の問題か

韓国の文在寅大統領は、8月14日の「慰安婦の日」の式典で演説したそうです。

「慰安婦問題は、人類の普遍的な女性の人権の問題だ」(2018年8月15日付朝日新聞)。

もし「普遍的な女性の人権の問題」なら、そして慰安婦は、朝鮮人のみならず日本人もいたのですから、どうして日本人慰安婦の「人権」は問題にならないのでしょうか?(ハイ、三行で論駁終了)

文氏は韓国の大統領だから、朝鮮人慰安婦を対象にしているのであって、日本人慰安婦は日本政府が問題にすべきだというのでしょうか。
しかし、これまで、日本政府にしろ、わが国の、とりわけ括弧付き人権派の、左翼マスコミにしろ、日本人慰安婦は問題にしていません。なぜでしょうか。彼女たちは戦場売春婦だということを皆知っていた(いる)からでしょう。

では、なぜ朝鮮人慰安婦だけが問題になったのでしょうか。
慰安婦問題に火をつけた人たち、そしてそれを持て囃した人たちが、思い違いをしたからです。日本人慰安婦は任意で集められたのに対し、朝鮮人慰安婦は強制的に集められたのだと。それで、この問題が燎原の火のごとく燃え上がってしまった。

確認しましょう。
慰安婦は朝鮮人よりも日本人の方が多かった。そして、当時わが国に併合されていたから、朝鮮は日本でした。募集方法は日本人と同じ、業者が集めた。帝国軍人に朝鮮人将兵がいたように、慰安婦にも朝鮮人がいました。
要するに、日本人慰安婦にしろ、朝鮮人慰安婦にしろ、強制的(非合法的)に集められたわけではなく、任意で(合法的に)集められたのです。本人もしくは親の合意があったのなら、任意です。

「『慰安婦の日』は、(中略)8月14日は1991年に、旧日本軍の慰安婦だった故金学順さんが初めて実名で体験を公表した日にあたる」(朝日新聞、同前)とのことです。
その金学順氏については、秦郁彦氏が『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)で、「彼女の場合も典型的な身売りのケースだったと思われる」と推測しています(180頁)。つまり、親に売られた=親の合意があった、ということです。
国際問題にまで発展しましたが、慰安婦問題自体がフェイク・プロブレムなのです。

さて、問題に火をつけた人たちが、引っ込みがつかなくなって編み出したのが、狭義の強制はなかったけれども、広義の強制はあったとの論法です。まるで、オウム真理教の「ああ言えば上祐」のようです。

現在の日本でも、韓国から女性が来日し、風俗嬢として働いている例もあるでしょう。
中には、「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われ」(いわゆる河野談話)ていると、言えなくもないケースもあるでしょう。
それなら、彼女たちだって、「広義の強制」に当てはまるはずです。
「慰安婦の日」は、正式には「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」とのことですが、将来、「日本人風俗嬢被害者をたたえる日」が韓国で制定されることになるかもしれません(笑)。

追記
文大統領は慰安婦問題を、「人類の普遍的な女性の問題」にすり替えようとしています。なぜでしょうか。
論点をずらすことによって、日本側の反発を逸らし、日韓関係の改善をはかろうとしているのでしょう。

追記2
下記は、おすすめ記事です。
「よもぎねこです♪」さんの、「慰安婦問題は女性の人権問題ではない」。

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どうして中国に謝罪しなければいけないの

謝罪が不要な理由

戦前わが国は支那を侵略したという。そして、戦後の日本はそれをちゃんと反省・謝罪していないと、支那人及び反日的日本人は声を大にして言います。
しかし、二つの理由で、私は同国に対する謝罪は不要だと考えます。
第一。戦前の日本より、現在の中共の方がはるかに侵略大国であるからです。
第二。現在どこの国も侵略していない日本が、他国を侵略し続けている中共に謝罪するのは不自然だからです。そして、それは日本が同国の行動を侵略だと見做さないとの、誤ったメッセージになるからです。

侵略大国としての支那

中共は、民族的にも文化的にも支那ではないチベットやウイグルを侵略し続けています。言うまでもなく、万里の長城は北方の異民族の侵入を防ぐために、支那人が造りました。つまり、そこより北は支那固有の領土ではありません。中共は旧満州をも侵略し続けています。もし「中国東北地方」というものが認められて良いのなら、「日本西北地方」だって、あるいは満州国はなおさら認められて良かったはずです。
周知のように、今日中共は東シナ海では尖閣諸島を自国領だと強弁し、公船を侵入させていますし、南シナ海では他国も領有権を主張する海域を、力によって一方的に囲い込みをしました。
また、台湾の人々が嫌がっているのに、その併呑の時機を窺っていますし、各国に圧力をかけ、同国の国際社会からの締め出しを謀っています。
戦前の日本よりも、現在の中共の方が、長期的かつ広範囲にわたって他国・他民族を侵略しているのは明白です。

現役の強盗犯と引退した窃盗犯

どこかの雑誌で読んだ記憶があります。
現在の中共が戦前日本の歴史を道義的に責めるのは、現役の強盗犯が引退した窃盗犯の過去を非難するようなものだと。その通りでしょう。前者が後者に向かって、お前はまだ反省していないと詰っている。笑止です。

反日的日本人の二重基準

中共の政治指導者たちだって愛国者でしょうから、自国の侵略について薄々承知していながら、国益の観点から、それには口を噤み、日本の古傷を敢えて攻撃しているのかもしれません。
むしろ不可解なのは、中共と一緒になって自国の罪を糾弾している日本人です。彼らは、現役の強盗国家中共の罪は不問に付し、引退した窃盗国家日本の罪のみを言い立てる。普通の愛国者ならありえない二重基準です。反日的日本人と言うゆえんです(注)。

反日的日本人の紋切型

さて、反日的日本人の紋切型に、次のようなものがあります。
他国が侵略した(している)からといって、自国の罪がなくなるわけではない、だから日本は率先して謝罪すべきだと。
もし日支両国が同程度の罪を犯した者同士なら、その主張も一理あるかもしれません。しかし、既に述べたように、戦前日本よりも現在の中共の方がはるかに侵略大国なのです。
それなのに、一方的に謝罪するのは、わが国が自国の行為は犯罪だと考えるのに、中共のそれは犯罪だと考えないとのメッセージになりはしませんか?

説明責任の必要

反日的日本人の皆さんは、自らの立場の正しさを主張し続けるのなら、以下の何れかを証明ないし説明する必要があると思います。
第一。戦前日本より、現在の中共の方が侵略小国であることを証明すること。
第二。前者よりも後者の方が侵略大国であるが、それにも拘らず、日本が支那に謝罪する必要があると言うのなら、その理由を(紋切型以外の)述べること。
それについて、納得できる説明がない限り、やはり日本は支那に対して、謝罪の必要はないと断ぜざるをえません。

隗より始めよ

現役の犯罪者に、他人の過去の犯罪を批判する資格はありません。
わが国は中共に対して言うべきです。隗より始めよ、と。
大国は小国の模範となるべきです。
中共が近隣諸国や諸民族への侵略を止め、反省なり謝罪なりするのを見届けた後、わが国は支那に対して応分の謝罪を考えれば良いでしょう。それからでも遅くないと思います。

(注)
反日的日本人は、二つの局面において二重基準を用いるのが常です。
一つは、他国と自国の侵略に対して、とりわけ今述べているように、支那と日本のそれに対して。もう一つは自己と自国の行為に対して(自己には無罪推定、自国には有罪推定!)。両者に対して二重基準を適用するのは矛盾であり、異様な思考なのだということを理解しないから、彼らは反日的日本人になるのです(後者の二重基準については、「三万人でも三十万人でも同じか」を参照のこと)。

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真の反省とは

飲酒運転で人身事故を起こしてしまった人物がいるとしましょう。もし彼がそのことを本当に反省したのなら、その後どのような行動をとるでしょうか。勿論自ら飲酒運転をしないのは当然のこと、飲み会の後同僚が車を運転して帰ろうとするのを見たら、止めるでしょう。見て見ぬふりはしないでしょう。
戦前わが国は近隣諸国を侵略したという。
もし戦前のことを日本が本当に反省したというのなら、今後他国を侵略しないのは当然のこと、近隣某国が他国・他民族を侵略しているのを見たら、窘めるのでなければならないはずです。見て見ぬふりはしないはずです。
さて、現在中共は、チベットやウイグルを侵略していますし、東シナ海や南シナ海では近隣諸国の領土を掠めようとしていますし、台湾を威圧しています。
では、それに対して日本ははっきりと異議を唱えるなり、止めるなりしているでしょうか。とりわけ、権力を監視しているはずのメディアは、侵略の歴史を直視せよと頻りに訴えるメディアは、なぜ政府の不作為を質そうとしないし、自らも中共の行為を咎めないのでしょうか。中共の侵略に対して、見て見ぬふりをすることが真の反省でしょうか。
それは、偽りの反省でしょう。偽りの反省しかしないから、歴史問題で誤報を繰り返しても、恬として恥じないのかもしれません。
それとも、わが国の政治家、ジャーナリスト、学者たちの多くは、戦前の日本の行為は侵略だけれども、現在の中共のそれは侵略ではないと考えているのでしょうか。

追記
先月訪支したマティス米国防長官に対し、習近平国家主席は次のように述べたという。「主権と領土の問題における中国の態度は明確であり、我々は先祖が残した領土を一寸たりとも失うことはできない」(朝日新聞、2018年6月28日付)。正確には、「先祖が残した」ではなく、「我々と先祖が奪った」でしょう。

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三万人でも三十万人でも同じか

「この人々は、自己を心理的に日本という国家の外部におき、その『悪行』を、他人の不幸を見るように好きなだけ暴露することに精を出してきた」(藤岡信勝著、『近現代史教育の改革』、明治図書、1頁)

目次

はじめに
1.南京事件
2.冤罪
3.反日派の反省・謝罪
4.本多勝一氏と『中国の旅』
5.反日派の分裂思考

はじめに

政治に初めて関心を抱いて以来、なぜ多くの人たちの間で意見が様々に分かれるのか不思議に思ってきた。
二十年以上前から、先の大戦を中心とする近現代史の、いわゆる歴史認識の問題(注)が、世間の耳目を引いてきたけれども、人々の認識の相違はなぜ生じるのか、とりわけ戦勝国史観(東京裁判史観)の肯定派と否定派の二派に分かれるのはどうしてなのか。その原因はどこにあるのか、について考えてみた。その結果一つの仮定に到達した。それについて、以下論じてみたい。

(注)
歴史認識の問題と称されるけれども、実際は歴史評価の問題であろう。というのは、個々の歴史的事実に関する認識の相違というよりも、戦争を含めた戦前の歴史に関する評価の差異が、両派の立場を分かつ根本因なのだから。

1.南京事件

1937年12月、当時中華民国の首都であった南京を、旧日本軍が攻略・占領した。その際に、多数の支那人捕虜や一般市民を殺害したとされる。いわゆる南京事件である。この事件に対するある物言いに、その人物の歴史認識の立場が端的に表れると思われる。
2006年3月、読売新聞主筆であった渡辺恒雄氏と朝日新聞論説主幹であった若宮啓文氏は対談本を出版した。その中で渡辺氏は発言している。

「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」(1)。

この種の主張は何度も目にした。朝日新聞には、たとえば次のような記事が掲載された。

「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館には(中略)外装には中国語、英語、日本語で、犠牲者を三十万と記す。気が遠くなるような数字だ。日本人の中には、当時の南京市民の数などから、この数字を疑問視する人々がいるが、たとえ誤差があったとしても責任を逃れることはできない。数よりもその非道を問われているのだ」(2)。

同紙の読者投稿欄からも一つ引用しよう。「虐殺した数が問題ではない」と題する投稿である。

「三十万人殺しても、百人殺しても虐殺は虐殺である。二、三十万人殺したら大罪だが、十人なら微罪などという人命軽視の論理は通用しない」(3)。

保守雑誌でも、次のように述べる人もいた。

「虐殺人数が中国のいうように三十万人か、それとも偕行社のいうように六万ぐらいか、と問うことと同様、大した意味があるとは思えない」(4)。

疑問なのは、このような発言をする人たちは、個人的な問題でも、そのような物言いをするだろうかということである。

2.冤罪

人間は皆誰であれ絶対に犯罪をおかさないとは限らない。愛国的日本人であれ、非愛国的日本人であれ、そこに例外はない。南京事件について、「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」と発言する人たちだって同じである。
さて、南京事件に関してそのように主張するある人物が運悪く犯罪をおかしたとする。事情があって人を一人殺してしまったのである。彼は自首し、警察の取り調べに正直に答えた。と、そこまでは良かったのだけれども、同時期に同じような種類の殺人事件が他に一件あったため、彼はそのことまで疑われてしまう。ところが、それに関してアリバイを証明することができない。起訴され、裁判になり、二人殺害との裁決が下った。この時彼は、「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」と言って、第一審の判決に素直に従うだろうか。
彼本人でなくても良い。彼の妻でも子供でも親でも良い。今述べたような状況に置かれた場合、彼はどのような態度をとるだろうか。息子は一人しか殺していないと訴えているのに、一人だろうと二人であろうと殺人は殺人なのだから、地裁の判決に従えと彼は息子に言うだろうか。
もし彼がまともな親なら、そんなことを言うはずがない。彼は息子に控訴を勧めるだろう。たとえ裁判で証人が何人も息子に不利な証言を行ったとしても、息子の語っていることの方が正しいのではないかと考えるのが正常な親というものである。
仮に一人殺したのが事実だとしても、何らかの事情があったからではなかろうかと斟酌するのが真っ当な親というものであろう。息子の言い分にも拘らず、不当な判決に甘んじよと諭すのは正気な親とは言えない。実際彼はそんなことは言わないだろう。
だとすると、自分自身や妻、子や親がやっていないと考えられることに関しては最大限無実を主張するだろうに(たった一人の「誤差」に過ぎないのに!)、自国の、しかも本当におかしたかどうか疑わしい「犯罪」に対して、なぜ最大限、いや最小限でさえ濡れ衣をはらそうとしないし、思わないのか。思わないのなら、その理由は何だと考えるのか。
しかし、そのような人が何と弁じようとも、理由は一つしかない。それは、彼が自身や肉親のことは「自分のもの・自分のこと」だと考えるけれども、自国のことはそう考えないからだ。日本のことを他人事のように見ているからだ。
福田恒存氏は書いている。

「私は一億総懺悔などとばかばかしいことをいふつもりはないが、さればといつて、日本政府、あるいはその帝國主義軍隊と、この自分とはべつのものだなどといはれて、『おお、さうだつた』と安心する氣はありません。もちろん、私は私なりに、今度の負け戰はやりきれなかつた。個人としてできるかぎり軍閥政治に利用されたくないとおもつてゐました。その是非は別問題として、事實さうでした。が、いまになつて、日本の軍隊は惡いが、おまへは許してやるといはれれば、やつぱり不愉快です。私たちが戰爭をとめられなかつたことからくる責任感ではありません。あれほど嫌つてゐたけれども、その日本の軍隊はやはり自分のものだつたといふ氣もちがあるからです」(太字いけまこ)(5)。

人を怒らせるには、母親の悪口を言うのが一番だといわれるが、それは彼(彼女)が母親を「自分のもの」だと見做しているからだ。一方、他人の母親の悪口を聞いても怒らないのは、彼にとって他人の母親は「自分のもの」ではないからだ。
すなわち、南京事件について、「犠牲者が3000人であろうと三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」などと放言できるのは、日本の歴史を「自分のこと」だと認識していない証拠なのである。
次のような定義が下せるだろう。反日的日本人とは、日本国自体を、そしてその歴史を「自分のもの」だと思っていない日本人のことであると。反日的日本人にとって、日本は「他人の母親」なのである。

3.反日派の反省・謝罪

問題は、反日的日本人(それは、左翼=社会・共産主義者+リベラル【注】とほぼ重なるのであるが)に限って、韓国や支那に対して謝罪したがるということである。そのため彼らは、歴史を直視せよ、過去を反省せよと訴え続けているのである。
そのような立場を鮮明に打ち出し、しかも最も権威あるとされるマスメディアは朝日新聞であろう。そこで、少々古いが、しかし同紙の考えは今も変わっていないと思われるので、その手の論説のいくつかを社説からピックアップしてみよう。
まず1994年12月7日付「『戦後』がやっと始まった」では、

「韓中両国との関係拡大や韓国の民主化といった変化を背景に、日本人は最近になってようやく、加害者としての課題に気付いた。いわゆる戦後補償問題である。(中略)今こそ、世界に通用する歴史認識に立って戦前を総括し、戦争の後始末をする時だろう」。

翌95年は国会において、「戦後五十年決議」が行われた年であるが、同年2月26日付「不戦決議で政治の見識をを示せ」では、

「私たちは、歴史をありのままに直視し、その反省に立って国際社会の平和と繁栄に責任を果たす決意をうたうこの決議こそ、次の世紀に向けたこの国の歩みのいしずえとなるべきものと考える。(中略)決議は、戦後補償を進める立脚点ともなる。(中略)苦しいけれども、歴史を直視することなしに未来は開けないのだ」。

97年1月5日付「人を飛蝗にしてはならぬ」では、

「日本の戦争責任についても、いわば自家製の応援団がいる。『日本だけが悪かったのではない』『自分を責める自虐的な歴史観だ』などという。自分だけではないという自己弁護は見苦しい。しかられた子供が『ボクだけじゃないのに』とすねるようなものだ。(中略)私たちも、自らの歴史をあるがままに見て、非は非として認める。自虐どころか、これこそ堂々とした態度だと思う」。

その他、「政治家の歴史認識を悲しむ」(1995年3月18日)だの、「過去を直視することの誇り」(95年5月8日)だの、「歴史から目をそらすまい」(97年3月21日)だの、「歴史をまっすぐに見よう」(97年4月29日)だのと(もちろんこれで全部ではないけれど)、読者に向かって、ひいては、謝罪に反対する人たちに向かって反省を促している。
これだけ過去を直視せよ、反省せよと訴えているのであるから、朝日新聞自身当然「自らの歴史をあるがままに見て、非は非として認め」ているのでなければおかしいだろう。しかし、実際は真反対である。
これまで同紙の報道や言論の問題点について、数多くの人物が語ってきた。戦前の戦意昂揚記事、冷戦中の内外の社会主義寄りのスタンス、日米安保条約(改定)の反対、毛沢東の後継とされていた林彪副主席失脚を否定する報道を行い続けたこと、1982年の教科書誤報事件など。
朝日は誤った報道や言論を行ったことについて、誠実に訂正をし、あるいは読者に向かって説明をしてきただろうか。1989年のサンゴ落書事件や吉田清治証言のように、言い逃れができなくなった場合だけは過誤を認めたけれど。もっとも、後者の場合は、最初の報道から「おわび」まで三十年以上が経過した。
冷戦時代日本社会党にしろ、共産党にしろ体制選択において社会主義体制支持であった。そして、社会主義体制の国はソ連邦以下全て破綻した。長年間違った指針を国民に提示してきたのだから、それについて何らかの釈明があってしかるべきだろう。しかし、今日まで両党の関係者で、それを行った者はいない。
以上をみても分かるように、反日派だって自身のおかした過ちを素直に認めたり、読者もしくは国民に、率直に謝罪したりしたわけではないのである。なぜそれができないのか。自らが所属する会社や組織を「自分のもの」だと思っているからだ。一方、戦前の日本について苛烈なまでに断罪できるのは、彼らにとってそれは「他人のもの・他人のこと」だからである。
社会党委員長にして内閣総理大臣であった村山富市氏は、1994年7月、それまでの党の政策を転換し、自衛隊の合憲と日米安保条約堅持を認めた。翌95年8月には、いわゆる村山談話により、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して」「痛切な反省の意を示し、心からのお詫びの気持ちを表明」した。
村山氏は、94年の政策の転換に関しては当事者であり、戦前の「植民地支配と侵略」に関しては当事者ではない。氏が謝罪すべきは、何よりも前者に対してである。しかし、実際になしたのは後者についてであった。
なぜか。村山氏にとって、前者は「自分のこと」だから、「痛切な反省の意を示し、心からのお詫びの気持ちを表明」することができないのである。一方、後者は戦前の指導者がやったこと、つまり他人事であるから気楽に、「反省の意を表し」えたのである。
再び、次のような定義が下せる。反日的日本人とは、自身や家族、自分の会社や組織については「自分のもの」と考えるけれども、こと自国に関してはそう考えない人たちのことであると。
何れにせよ、反日派、愛国派を問わず、「自分のもの」についても「他人のもの」についても、党派的正義よりも事実優先でなければならない。

【注】
「左翼=社会・共産主義者+リベラル」については、「左翼としてのリベラル」を参照のこと

4.本多勝一氏と『中国の旅』

わが国の歴史を「自分のもの」と考えない人間が、戦前日本の「悪行」を暴いた典型的な例が、本多勝一氏の『中国の旅』であろう。本多氏は同著に書いている。

「私の訪中目的は、(中略)戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにすることだった」(太字本多氏、原文は傍点)(6)。

氏にとって、中共が「自分のもの」なのであろう。
さて、『中国の旅』の問題点はいくつかある。第一、本多氏が取材した1971年6、7月当時、日本の新聞社は皆中共から追放されていて、残っているのは朝日新聞一社だったこと、そのこと自体同社が中共政府の代弁機関として利用価値があったことを示している。第二、当時の中共は今日と違って明確な共産主義体制であって、取材の自由はなかったし、その取材がどのようなものであったか、氏自身が報告している。

「レールは敷かれているし、取材相手はこちらで探さなくてもむこうでそろえてくれる」(7)。

しかし、なによりも問題なのは、第三、「むこうでそろえてくれ」た「取材相手」の証言を聞き書きしただけの、裏取りのない内容だったことである。確かに、取材の自由がなかった中共で、しかも短期間の取材で、証言の裏取りなど不可能だったろう。
田辺敏雄氏は指摘している。

「そもそも、『中国の旅』連載の致命的欠陥は、日本側を取材することなく報じたことにあった」(8)。

本多氏が『中国の旅』でなしたことは、息子(日本)は被告席に立たされているのに、検察(中共)側証人として出廷し、息子に不利な証言を行う父親のようなものである。しかも、証言の内容が確かならまだしも、真偽不明(裏取り取材なし)なのだ。
法廷で息子に不利な証言を行う、そのような夫を見て、息子の母親である妻はどのような感情を抱くだろうか。なんと正義感の強い夫だろうと感心するだろうか。彼の言動に呆れ、妻は夫を決して許さないだろう。
本多氏に限らない。南京事件、百人斬り競争、慰安婦問題その他歴史問題において、事実に基づかない且つまるで他国の利益を代弁するような報道や言説を行うマスコミ人や学者や政治家は、その夫のようなものなのである。そして、彼ら反日派に対する愛国派の気持ちは、その妻が夫に抱く感情と同一なのである。

5.反日派の分裂思考

激情に駆られて人を一人殺してしまったある反日的日本人が、別件でも疑われて、しかし、「一人だろうと二人であろうと、殺人には違いがない」と言って、自分のではない罪を被って、刑に服するのを見てみたい気がする。正気とは思えないものの、言動が一致している点で感服せざるをえない。けれども、そんな光景が見られることはないだろう。日本国に愛着を持たない反日派も、自分には愛着を持つからだ。
とすると、自国の問題では「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」と言っておきながら、自己の問題では「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」となぜ言わないのか。自国と自己に対する基準が分裂している。
一方、愛国派は自己の問題で、「一人だろうと二人であろうと、殺人であることには違いがない」と言わないがゆえに、自国の問題でも「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」とは言わない。自己と自国に対する基準が一致している。反日派は一致していない。
反日派は、なぜ反日派になるのか。
自身や家族、自分の会社や組織に対しては愛情を持つけれども、自国に対してだけは愛情を持たないからだ。その証拠が、両者に対する二重基準である。彼らは、前者には無罪推定を適用するのに、後者には有罪推定を当てはめるのである。両者に対して別の基準を用いることは矛盾であり、そのような思考は異様なのだということに気がつかないからだ。
裁判において、被告人の家族は、検察側の主張をすべて理解した上で、彼の言い分に耳を貸すべきだろうか。そんな不自然なことはしないし、すべきでもないだろう。彼の家族は何よりも、「自分のもの」たる被告人の言い分に耳を澄ますべきである。
歴史認識の問題でも同じである。私たち日本人は、まず歴史法廷で被告席に立たされている自国の身になるのでなければならない。すなわち、自国の歴史に対しては、無罪推定で臨むのでなければならない。
勿論、それはあったことを認めるなとか、なかったことにせよとか言うのではない。ただ、当時の日本が置かれた状況や事情を汲むべきだと言いたいだけである。反日派はそれをしない。
結局のところ、私たちの間で歴史認識が二分する大本は、その人物が日本の過去を「自分のもの」と考えるか=自分事史観、「他人のもの」と考えるか=他人事史観の違いなのである。そして、後者の人たちが戦勝国史観の肯定派になり、南京事件についても、「三万人だろうと三十万人であろうと、虐殺であることには違いがない」などと口走るのである。
反日派だって、自身や肉親、自社や自党に愛着を持つのは明らかである。彼らに、とりわけ政府やマスメディアの枢要な地位にあったリベラルな人たちに、せめてその十分の一でも自国に愛着があったなら、歴史問題がかくまで国際問題に発展するようなことはなかっただろう。

(1)渡辺恒雄、若宮啓文著、『「靖国」と小泉首相』、朝日新聞社、40頁
(2)朝日新聞、1995年7月31日付
(3)同前、2000年2月3日付
(4)『諸君!』、文藝春秋、1994年9月号、105頁
(5)『福田恒存全集 第三卷』、文藝春秋、40頁
(6)本多勝一著、『中国の旅』、朝日文庫、10頁
(7)本多勝一著、『ルポルタージュの方法』、朝日新聞社、213頁
(8)片岡正巳、板倉由明、田辺敏雄著、『間違いだらけの新聞報道』、閣文社、339頁

共同幻影としての日本有罪論2

1995年に発表された村山内閣総理大臣談話の一部を引用します。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」。
さて、「遠くない過去の一時期」とは、いつからいつまでを指すのでしょうか。
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とありますが、具体的にどこの国に対してでしょうか。アフガニスタンも、イランも、インドも、サウジアラビアも「アジア諸国」です。では、これらの国に「わが国は」「多大の損害と苦痛を与え」たでしょうか。
「この歴史の事実」が「疑うべくもない」のなら、時期にしろ国名にしろ明確に記述できるはずです。ではなぜ、この談話はそれらを曖昧にしているのでしょうか。
朝日新聞の社説もそうです。2018年3月5日付「日韓歴史問題 ともに未来に進むには」にもこうあります。
「日本がかつて国策を誤り、アジアに多大な苦痛を与えたのは歴史の事実である」。
「歴史の事実」なら、なぜ「アジア」という言葉でごまかす=逃げるのでしょうか。
期間や国名について具体的に触れると、いや日本はこの国(わが国)に対しても「多大の損害と苦痛を与え」たではないかとのクレームが、内外から生じるからでしょうか。
たぶん、談話を発した当の村山氏にしろ、実際にこの談話を書いた官僚にしろ、朝日新聞の論説委員にしろ、何が<戦前日本の罪>なのかを理解していないし、明言できないからではないでしょうか。こんな不明瞭な談話では、国民は「歴史の事実」とやらを、「謙虚に受け止め」ることはできません。
それとも、国際社会の多数派は戦勝国側だし、各国と(第三国とも)仲良くしなければならないし、とりあえず、テキトーに謝っとこ、曖昧な談話ならそのいい加減さに国民も次第に気づくだろうし、遠くない将来の一時期反故にするだろう、それが村山内閣の狙いなのかもしれません(笑)。

追記
「共同幻影」という言葉は、私の造語ではありません。竹山道雄著、「人間は世界を幻のように見る」『歴史意識について』、講談社学術文庫を参照のこと。

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戦後ドイツの反省

第二次大戦以前の国家の行為に対し、ドイツは真摯に反省したから近隣諸国と和解できているのに比べて、日本は心から謝罪しないから、韓支との関係がいまだにギクシャクしていると非難されます。しかし、はたしてドイツは本当に反省しているのでしょうか。
ドイツ国民の多くは、1945年5月8日をナチスから解放された日だと考えているそうです。ということは、加害者はナチスで、自らは被害者だと思っているということです。
当たり前ですが、反省は加害者がすべきものであって、被害者がすべきものではありません。被害者も、不注意だったとか、ぼんやりしていたとか、いくらか自責する点があるかもしれませんが、本来は加害者が事後改心して行うものです。
それなら、被害者であるらしい多くのドイツ人が、ナチスがしでかしたことを、自分のこととして本心から反省するということがあるわけないではないですか。
言えるのは、彼らにとってナチスは自分とは直接関係がないもの、ユダヤ民族の虐殺は他人のやったこと、そういう意識があるということです。
西尾幹二氏が『異なる悲劇 日本とドイツ』(文藝春秋刊)で論証したように、そもそも日本とドイツの「罪」が違っているのに、同列に論じて日本を一方的に非難するのは、いい加減に止めて欲しいと思います。

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共同幻影としての日本有罪論

ある人たちは言います。
「戦後日本人は自ら戦争責任を追及してこなかった」と。
先の大戦において、戦争指導者の誰に、どの程度「戦争責任」があったのか、ほぼ正確に認定できるのでしょうか。そして、その認定を、国内で統一しうるのでしょうか。
今からでも遅くないから、日本人自ら戦争責任を追及してみれば良いのにと思います。戦勝国史観の肯定派と否定派がいて、各々の陣営の中でも意見が分かれていて、誰を戦犯に指定するのか百家争鳴、収拾がつかなくなるでしょう。
アメリカ主導による東京裁判という外圧のため、誰も納得いかない形であれ、戦争責任の問題が収束したのです。
1995年の村山談話には、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との文言が見えますが、戦争責任のみならず、「植民地支配」の責任はどうでしょうか。
たとえば、日清戦争の敗北によって清国が日本に台湾を割譲したのは1895年、日本が韓国を併合したのは1910年、現在中共が植民地支配している、旧満州国の建国は1932年です。その他、植民地支配に該当する例はあるでしょう。
では、各々の事例において、誰に、どの程度責任があったのか、認定可能なのでしょうか。そして、その認定を国内で統一しうるのでしょうか。
そもそも、現在の日本人は、戦前=悪との思い込みはあるものの、(大東亜)戦争と植民地支配の区別さえついていないのではないでしょうか。
<戦前日本の罪>は、誰も納得できるように説明できない!そして、納得できる説明がないまま、罪はあるとの共同幻影の下、国民は戦前を反省してきたし、反日派は反省しないものを責めてきたのです。

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