転向の理由

転向はその殆んどが左派から右派への一方通行です。時たま、左翼から保守を通り越して右翼に走る者もあります。戦後は特高警察による拷問がある訳でもなし、なぜ転向者は宗旨変えをするのでしょうか。
エンゲルス曰く、「唯物史観と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、われわれがマルクスに負うところである。社会主義はこの発見によって一つの科学となった」(『空想より科学へ』、大内兵衛訳、岩波文庫)。
唯物史観や剰余価値論を知って社会・共産主義者になり、その後転向したということは、それらの理論に対して否定的な見解を抱くようになったということでしょう。そうであるなら、マルクス主義の理論について異論を公にすることは、いまだそこから抜け出せずにいる人たちの目を開かせることになるはずです。
ところが、転向者による転向の弁を読んでも、あれこれ述べてはいるものの、左翼の理論のどこが、どのように間違っていると考えた結果転向したのか、肝心な理由が判然としません。どうしてなのでしょうか。
仮説はこうです。
転向者は、思想上の必然性により転向しているのではなく、処世術上の必要性のために転向しているのではないでしょうか。
社会・共産主義に将来はなさそうである、このままだと泥舟と心中することになる、しかし、陽の当たる場所に出たい・・・・。そのような深層心理が彼に転向という行動をとらせるのではないでしょうか。
左翼から保守に転向した者の言説がブレがちなのは、時に左翼回帰しているように見えるのは、過去の思想を清算していないという、彼の転向の理由のせいではないでしょうか。

スポンサーリンク

左翼としてのリベラル

目次

1.左翼の変容
2.誰が「強兵」を妨げているか
3.自民党保守本流は保守だったか
4.冷戦的思考
5.理念の喪失

1.左翼の変容

冷戦時代に左翼と言えば、社会主義者、共産主義者のことだった。体制選択で、社会主義もしくは共産主義体制を目指す人たちが左派(左翼+極左)であり、資本主義あるいは自由主義体制を支持する人たちが右派(保守+右翼)だった。
1975年時点での議会政党で述べるなら、日本社会党、日本共産党が左翼政党であり、自由民主党が保守政党だった。民社党や公明党は中道と呼ばれていた。前者は民主社会主義を、後者は人間性社会主義を標榜していたけれども、実際には共産主義体制支持ではなかった。そもそも共産主義体制と自由主義体制との間に、中道などありえなかった。両党とも、とりわけ民社党は保守政党だった。経済的平等を実現するとされた共産主義に対するある種の道義的な後ろめたさが、両党に社会主義を掲げさせたということができるだろう。
左翼政党と保守政党を分かつ線は、社会党と民社党の中間を通っていた。もっとも、公明党は民社党より「右」ではなかったけれど。
別の解釈も可能だろう。社会党内の左派グループと右派グループの間を貫いていたのだと。ただ同党左派は社会主義体制支持を明確にしていたのに対して、右派は曖昧だった。後者は風向き次第でどちらにも転ぶつもりの、コウモリ派だったのかもしれない。
その他議会主義政党とは別に、それに否定的な勢力として、左派には極左=新左翼が、右派には右翼がいたし、今もいる。
1955年11月15日、統一した社会党に対抗するため、自由党と日本民主党が合併して自由民主党が成立した。保守合同である。
一般的には、前者が対米協調、経済重視的、後者が民族主義的だと評されるけれども、前者がリベラルで、後者が保守だとすっきり分かれていたわけではない。しかし、保守合同はイデオロギー的にはリベラルと保守との合同だった。すなわち、冷戦時代の保守とは、リベラルと保守との連合軍であった。
1989年11月のベルリンの壁崩壊及び1991年12月のソ連邦の解体により冷戦は一応終結した。
東欧諸国は共産主義体制を放棄し、中共は政治的には共産党の一党独裁を堅持しつつも、経済的には資本主義へ舵を切った。北朝鮮の政治的経済的行き詰まりも明らかになった。それらにより、マルクス主義のイデオロギー的権威、魅力が失われた。
社会・共産主義者であったこと、他人にその正しさを説教してきたことについて、反省を表明する者はいなかったけれども、少数の非転向の共産主義者以外、多くの社会主義者たちはリベラルへ転向していった。それを明示するのが、日本社会党の凋落であり、日本共産党の退潮である。
「冷戦保守」の一翼を担った旧リベラルは共産主義体制に反対だったけれども、保守よりも容共的だったし、もともと進歩主義的思想傾向の持ち主たちだった。
社会主義者からの転向組の新リベラルと旧リベラルの差異が次第になくなっていった。一方、冷戦時代共通の敵として社会・共産主義勢力がいたからまとまっていたけれども、冷戦保守の結合にゆるみが生じた。
その結果生起したのが冷戦保守分裂と新旧リベラル合同である。1993年6月武村正義氏他は自民党を離党、新党さきがけを結成した。また、同年同月小沢一郎氏や羽田孜氏らは、やはり自民党を脱党、新生党を結成した。そして彼らは、同年8月日本新党の細川護熙氏を首班とする八党派による非自民連立政権を成立させた。
翌94年6月、同連立政権の内紛に乗じて、自民党、社会党、さきがけは、社会党の村山富市氏を担いで、自社さ政権を樹立した。それ以降の政党の合従連衡により、自民党に所属した議員と社会党に所属した議員が、同一政党に所属するようになっていった。
冷戦保守分裂は、リベラルと保守がすっきり分かれた訳ではない。また、リベラル合同も、新旧リベラルが1つの政党に集結した訳ではない。
当の国会議員自身、誰が敵で、誰が味方なのかを明確に意識していないため、政界再編も理念的に支離滅裂で、今日もなお自民党とその他の泡沫政党の中で、リベラルと保守が呉越同舟の状態にある。とはいえ、イデオロギー的には、既にリベラルと保守対決の時代が到来しているのである。
冷戦終了直後、政治的立場を左右に分けて考えることの無意味が語られもした。けれども、相変わらず進歩主義派と保守主義派のイデオロギー上の戦いは続いている。要するに、左右対立の図式が無効になったわけではない。
左翼党派内での権力闘争でしばしば見られる光景であるが、まず進歩的グループと保守的グループが対立し、前者が後者を駆逐した後、前者の中の急進派と穏健派が対立し、前者が後者を粛清する、というのが常である。
そのような、政治的左派右派対立の共通した型から理解できることだけれども、冷戦後最も先鋭的な進歩思想たるマルクス主義が衰退することによって、つまり、最左派が存在感を喪失することによって、左右対立の本流が穏健左派対保守へ変わったのである。
すなわち、左右の対立軸は右へ移動した。今やイデオロギー的に左右を分かつ線は、社会・共産主義者と自由主義者の間を通っているのではなく、自由主義者の中の、リベラルと保守の中心を走っているのである。社会・共産主義者は左翼の少数派に転落してしまった。今日左翼の主流派にして多数派はリベラルである。そして、リベラルこそが保守の主敵である。

2.誰が「強兵」を妨げているか

リベラルと保守は、様々な問題で意見を異にしている。皇位継承、憲法、国防、歴史認識、外国人参政権、夫婦別姓、同性婚、外国移民の受け入れ、原発・・・・。本稿では、その内幾つかについてのみ言及する。
体制選択の問題と同様、冷戦時代から<社会・共産主義者vs.リベラル+保守>だったのは日米安保条約に関してである。
冷戦時代、日本社会党にしろ日本共産党にしろ、日米安保に反対だった。彼らにとって社会主義は平和勢力であり、資本主義は戦争勢力であった。資本主義国の雄アメリカと軍事同盟を結ぶことは、同国の侵略に加担することになるし、何よりも日本がその戦争に巻き込まれることによって自らが犠牲になる恐れがあった。だから、彼らは日米安保に反対したし、反米だった。社会党は非武装中立、共産党は武装中立の立場だった。
両者が中立を謳っていたのは、アメリカから離れるためだろう。社会党が非武装を高唱していたのは、それが政策的に実現可能だと本気で信じていたためだろうか、それとも、社会主義国による日本の「解放」を期待したからだろうか。
一方、右派はわが国の共産化を憂慮していたし、ソ連、中共、北朝鮮を脅威だと考えていたから、リベラルも保守も日米安保肯定であった。
冷戦後の1994年7月、村山富市社会党委員長による日米安保堅持、自衛隊合憲の表明があり、その後の社会主義者のリベラルへの転向があって、共産党は相変わらず反対であるものの、今日新旧リベラルも保守も日米安保肯定で一致している。
確かに一致はしている。が、問題はその中身である。
米国との軍事同盟において、血も汗も流したくない、しかし、アメリカには守って欲しい、がリベラルの本音だろう。そして、犠牲を払わなくても(基地は提供しているし、駐留経費も支払っている。何より沖縄は犠牲を払っている!と反論するだろうが)、アメリカは守ってくれると信じるのが彼らである。要するに、信米である。
一方、保守は、血も汗も流さない、では同盟はもたない、だから日米安保の強化もしくは深化を主張している。一口に言えば、リベラルは信米ハト派であり、保守は親米タカ派である。
尖閣諸島その他への中共の威嚇、北朝鮮の度重なるミサイル発射や核実験を目の当たりにしても、わが国が一向に軍事的に覚醒しないのは、リベラル勢力が強大だからだろう。彼らは、憲法九条の改正にも、核保有の論議にも反対である。
戦後70年以上経過してなお、わが国のリベラルは前大戦のトラウマを引き摺っていて、軍事的行動に対して頗る消極的である。
米民主党にしろ英労働党にしろ、「戦争ができる国」であることを否定することはない。国家は、場合によっては戦わざるをえないこともあることを知っているからだろう。だから政権政党になることができるのである。
たまたま鳩山由紀夫、菅直人民主党は、わずかの期間政権の座に着いたけれども、まともな独立国で、軍事的行動を忌避する政党が長く政権を保持することは危険である。
冷戦時代日本社会党が政権を担うことができなかったのは、非武装的平和主義から抜け出せなかったからである。国防問題で目覚めない限り、あるいは冷戦保守政党で保守に寄生しない限り、社会党同様リベラルも、万年野党に甘んじる他ないだろう。

3.自民党保守本流は保守だったか

現在の状況を先取りしているかのように、冷戦時代から<社会・共産主義者+リベラルvs.保守>の図式だったのが、憲法、歴史認識、対支那・台湾の問題である。
第一。冷戦時代、社会党にしろ共産党にしろ、憲法護持を主張していた。左翼にとって日本国憲法はブルジョア憲法であるから、本来改正すべきなのは当然である。しかし、政権を握るまでは、体制側が提起するその改悪を阻止しなければならない。幸いブルジョア憲法だとは言え、現憲法は武力の放棄を謳った第九条がある。彼らにとって憲法は日本の軍事大国化を防ぐための歯止めとして、利用価値があった。それゆえの護憲だった。
一方、右派のうち、ハト派のリベラルも護憲を主張していた。それに対して、保守のみ改憲(廃憲も含む)派だった。<社会・共産主義者+リベラルvs.保守>、この図式を見れば、憲法改正がいかに困難であるか一目瞭然であろう。
さて、自民党の中に保守本流と呼ばれる勢力があった。吉田茂氏の流れをくむ、池田勇人氏から大平正芳氏へと続く宏池会の系統と、佐藤栄作氏から田中角栄氏へ受け継がれた派閥の系統を指す。そして、保守本流が自民党の中核を形成していた。
2013年5月23日付朝日新聞で、ノンフィクション作家保阪正康氏はインタビューに答えて述べている。
「池田勇人も佐藤栄作も、田中角栄も改憲は公言しなかった。保守本流こそ『護憲』だったわけです」。
氏が言うように、自民党の保守本流は護憲派だったのだろうか。というよりも、そもそも彼らは保守だったのだろうか。
具体的に政治家の名前を挙げよう。宏池会系には麻生太郎氏のような人もいる一方、宮沢喜一氏、加藤紘一氏、河野洋平氏といった政治家がいたし、佐藤・田中氏の流れには、そこから政治家としてのキャリアをスタートさせた細川護熙氏、鳩山由紀夫氏、岡田克也氏がいる。細川、鳩山、岡田氏は思想的転向によって自民党を離れた訳ではない。6氏は、明らかにリベラルに属する政治家であり、自民党と泡沫新党において、枢要な地位を占めたのである。
「冷戦時代の保守とは、リベラルと保守との連合軍であった」と既に述べたけれども、自民党保守本流も例外ではなく、リベラルと保守の寄り合い所帯だったのであり(実際には、どちらにも分類できない有象無象も少なくなかっただろうが)、真の意味での保守、つまりノンリベラル保守(以下ノンリベ保守)の集団ではなかったのである。戦後自民党が長期政権を続けてきたにも拘らず、憲法改正が日程に上ることがなかったのは、保守本流を含めて自民党議員の少なからぬ部分をリベラルが占めていたからだろう。
近年改憲勢力が衆参両院で3分の2を上回っているとマスメディアは指摘するけれども、自民党の中にはリベラルがいるし、公明党もリベラル政党である。ノンリベ保守が望む形での憲法改正は容易ではないだろう。
ところで、昨年5月安倍首相は、憲法「九条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方」を示した。それは、占領憲法改正の突破口になるかもしれない。
第二。冷戦時代、社会・共産主義者は帝国主義戦争史観を奉じていた(注)。一方、リベラルは東京裁判史観の占領下にあった。対して、保守はその何れにも反対だった。帝国主義戦争史観と東京裁判史観は、善玉は必ずしも一致しないけれども、悪玉は日本で一致する。要するに両者とも、日本悪玉史観である。だから冷戦後、社会主義者たちはリベラルへ転向したけれども、帝国主義戦争史観から東京裁判史観への跳躍は簡単だったろう。今日ほぼ、リベラルは東京裁判史観肯定、保守はその否定の立場である。
自民党保守本流のリベラル政治家が歴史問題で何をなしたか。宮沢喜一氏と河野洋平氏は、1982年と1993年に各々官房長官談話を発表した。前者は、教科書誤報事件をきっかけに、歴史教科書検定における外国の干渉を許し、後者は慰安婦の強制を認めた。周知の通り、何れの案件も基になる事実がなかったことが、その後明らかになっている。リベラル政治家の軽率かつ不手際な言動が、日支、日韓の関係をこじらせ、どの国民をも苦しめる結果になっている。
第三。一般的に言って、冷戦前後を通じて社会・共産主義者とリベラルは中華人民共和国(中共)派であり、保守のみ中華民国(台湾)派である。
1972年9月田中角栄首相、大平正芳外相という保守本流コンビにより、日支国交「正常」化が行われた。彼らがノンリベ保守であったなら、あれほど早期かつ屈託もなく「日中国交」=台湾切捨てはできなかっただろう。両氏はリベラルだったのだろうか、それとも鵺的保守だったのだろうか。
中共と台湾に対する態度を見ると、リベラルというものの実体がより鮮明になる。
今日も中共は共産党支配の独裁国家であるのに対して、台湾は民主的に政権交代を行う自由国家である。もしリベラルが字義通りの自由主義者なら台湾に幾らかでも同情的な姿勢を示しても不思議ではないだろう。しかし、彼らは同国に対して実に冷淡である(たとえば、河野洋平氏の来歴を見よ!)。
なぜか。リベラルにとって、自由よりも進歩の方が上位の価値だからではないだろうか。彼らは共産主義には一応反対だったけれども、別種の進歩主義者なのである。リベラルとは、共産主義が過激な進歩主義であるのに対して、穏健な進歩主義のことだと理解するのが適切だろう。
国防、憲法、歴史認識、対支那・台湾問題を見れば、戦後日本を主導してきたのはノンリベ保守というよりも、むしろリベラルだというののが分かるのである。

4.冷戦的思考

冷戦的思考について、少し触れよう。それは、保守とはリベラル+保守のことだと、いまだに信じている思考のことである。
第一。2013年奇妙な題名の本が出版された。『「リベラル保守」宣言』(中島岳志著、新潮社)である。著者は「リベラル保守」なる立場を提唱している。
確かに、対社会主義勢力のためにリベラルと保守が共闘していた時代なら、そのような立場もありえたかもしれない。しかし、今日リベラルと保守はイデオロギー的に真っ向から対立していて、両者は反対概念である。「リベラル保守」宣言というのは、左翼右翼宣言とか、共産主義資本主義宣言とか、東京裁判史観肯定否定宣言というようなものであろう。
第二。昨年10月22日に投開票が行われた第48回衆議院議員選挙の直前にブームとなった、小池百合子氏ひきいる希望の党の、一時スポークスマン的な役割を担った若狭勝氏は、保守二大政党政治を唱えた(『正論』2017年10月号)。
しかし、国民の間でも、国会議員の間でも、リベラルとノンリベ保守が拮抗しているのである。ノンリベ保守二党が政治の大勢を占めることなどありえない。氏の言う保守とは、冷戦保守のことだと考えざるをえない。
第三。民進党の代表をつとめた蓮舫参議院議員は、一昨年「私はバリバリの保守ですよ」と発言したとのことである。昨年立憲民主党に入党し、リベラルであることが判明した。誤解を生まないために、彼女は次のように言うべきだった。「私はバリバリの冷戦保守ですよ」。
最近明らかにリベラルな人物が保守を自称したりして、政治や言論の場に混乱をもたらしている。彼らの言う保守とはノンリベ保守のことではなく、冷戦保守のことであろう。

5.理念の喪失

冷戦後、次のような現象が生じた。名称からして何を目指しているのか不明な新党が続々と出現したことである。
名前を挙げるなら、日本新党、新党さきがけ、新生党、新進党、みんなの党、たちあがれ日本、太陽の党、維新の会、生活の党、日本のこころ、希望の党など。これらの政党は、次々と生まれてはたちまち雲散霧消したし、しつつある。なぜこのようなことが起こるのだろうか。政治家たちが、理念を見失っているからだろう。
1990年代の、いわゆる政治改革によって、つまり、小選挙区制を導入することによって、政権交代可能な二大政党を作ろうと政治家たちは考えた。しかし、実際にできたのは何れも自民党と同様、リベラルと保守が混在する呉越同舟政党である。
一方の自民党が冷戦保守政党なら、同党の長期政権化を阻もうと創立された諸党も冷戦保守政党である。両者の違いは、党内におけるリベラルと保守の比率だけである。冷戦保守同士の内ゲバだから理念は二の次で、だから新党は場当たり的な党名になるのだし、短命に終わるのである。勝敗はリーダーの力量とマスメディアの肩入れ次第で、だから他方の自民党も、安倍晋三総裁後は危ういだろう。
理念がほぼ同じ政党による二大政党制など、長続きするはずがない。それはまた、有権者にとっても選択肢がないことを意味する。二大政党制が実施されている国では、両党がおおよそ理念によって分かれている。左右社会党の統一と保守合同によって成立したわが国の五五年体制だってそうである。ただ前者がマルクス主義と空想的平和主義から脱皮できなかったため、政権政党になることができなかっただけである。
近年欧米における二大政党制の揺らぎが指摘されたりするけれども、それは左派が左派としての役割(たとえば格差の是正)、右派が右派としての役割(たとえば外国移民の制限)をはたしていないからではないだろうか。
現在の日本のイデオロギー的な状況からいって、ある程度理念によって分かれるなら、リベラル政党とノンリベ保守党の二大政党にならざるをえないだろう。
冷戦保守分裂も、新旧リベラル合同も、ノンリベ保守合同も中途半端に終わったままである。政治家が理念を見失っていること、そのことがひいては日本の混迷につながっているのではないだろうか。

(注)上山春平著、『大東亜戦争の遺産』、中公叢書

【関連記事です】
リベラルは左翼である

戦後ドイツの反省

第二次大戦以前の国家の行為に対し、ドイツは真摯に反省したから近隣諸国と和解できているのに比べて、日本は心から謝罪しないから、韓支との関係がいまだにギクシャクしていると非難されます。しかし、はたしてドイツは本当に反省しているのでしょうか。
ドイツ国民の多くは、1945年5月8日をナチスから解放された日だと考えているそうです。ということは、加害者はナチスで、自らは被害者だと思っているということです。
当たり前ですが、反省は加害者がすべきものであって、被害者がすべきものではありません。被害者も、不注意だったとか、ぼんやりしていたとか、いくらか自責する点があるかもしれませんが、本来は加害者が事後改心して行うものです。
それなら、被害者であるらしい多くのドイツ人が、ナチスがしでかしたことを、自分のこととして本心から反省するということがあるわけないではないですか。
言えるのは、彼らにとってナチスは自分とは直接関係がないもの、ユダヤ民族の虐殺は他人のやったこと、そういう意識があるということです。
西尾幹二氏が『異なる悲劇 日本とドイツ』(文藝春秋刊)で論証したように、そもそも日本とドイツの「罪」が違っているのに、同列に論じて日本を一方的に非難するのは、いい加減に止めて欲しいと思います。

【追記】
5月9日付朝日新聞の記事「ドイツの終戦、『降伏』か『解放』か」によれば、5月8日を「ドイツでは(中略)、『ファシズムからの解放の日』として恒久的な国民の祝日にしようとの声も上がっている」そうです(2020・5・10)

スポンサーリンク



共同幻影としての日本有罪論

ある人たちは言います。
「戦後日本人は自ら戦争責任を追及してこなかった」と。
先の大戦において、戦争指導者の誰に、どの程度「戦争責任」があったのか、ほぼ正確に認定できるのでしょうか。そして、その認定を、国内で統一しうるのでしょうか。
今からでも遅くないから、日本人自ら戦争責任を追及してみれば良いのにと思います。戦勝国史観の肯定派と否定派がいて、各々の陣営の中でも意見が分かれていて、誰を戦犯に指定するのか百家争鳴、収拾がつかなくなるでしょう。
アメリカ主導による東京裁判という外圧のため、誰も納得いかない形であれ、戦争責任の問題が収束したのです。
1995年の村山談話には、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との文言が見えますが、戦争責任のみならず、「植民地支配」の責任はどうでしょうか。
たとえば、日清戦争の敗北によって清国が日本に台湾を割譲したのは1895年、日本が韓国を併合したのは1910年、現在中共が植民地支配している、旧満州国の建国は1932年です。その他、植民地支配に該当する例はあるでしょう。
では、各々の事例において、誰に、どの程度責任があったのか、認定可能なのでしょうか。そして、その認定を国内で統一しうるのでしょうか。
そもそも、現在の日本人は、戦前=悪との思い込みはあるものの、(大東亜)戦争と植民地支配の区別さえついていないのではないでしょうか。
<戦前日本の罪>は、誰も納得できるように説明できない!そして、納得できる説明がないまま、罪はあるとの共同幻影の下、国民は戦前を反省してきたし、反日派は反省しないものを責めてきたのです。

スポンサーリンク



日本は奴隷国家ではない

2016年6月3日に死去した米国籍の、ボクシングの元世界王者は、元々はカシアス・クレイという名前でした。イスラム教に改宗した折に、モハメド・アリとあらためた。その時に言った科白が、「それは奴隷の名前で、私はもう奴隷ではない」。
隣の大国のことを、わが国では殆んどの人が「中国」と言います。しかし、それは服属国もしくは朝貢国による、かの国に対する呼び方ではないでしょうか。支那にとって自国は中国かもしれませんが、そしてわが国の左翼にとってもそうかもしれませんが、まともな国民にとって中国は日本です。あるいは山陽・山陰地方のことです。
米英語圏は支那のことをチャイナchinaと、フランスはシーヌchineと、ドイツはヒーナchinaと言っています。有力な諸国がかの国のことを支那と呼んでいて、支那もそれに抗議をしている訳でもありません。
もし支那が日本に対して、自国を中国と呼ぶよう要求しているのなら、それは民族差別です。あるいは、わが国のメディアが「中国」の記述や口述のみを認め、「支那」を認めないなら、それは悪質な検閲です。
正気な日本人なら、言わなければなりません。
「それ(中国)は奴隷国家の呼び方で、わが国は奴隷国家ではない」。

 

スポンサーリンク



ミミズと世界の真理

ミミズには目も耳もありません。そんな彼らが、将来世界の真理を把握するに至るようなことがありうるでしょうか。自動車に轢かれたミミズは、今自分に何が起こったのかさえ理解できないでしょう。
科学者は日夜研究を続けています。自分たちは宇宙や世界の真実を解き明かせると信じています。しかし、ミミズ同様、人類も真理を解明するのに必要な、ある種の感覚器官が決定的に欠けているかもしれないのです。
ミミズにしろ人間にしろ、自己の認識能力に応じた「真理」しか、捉えることができません。

スポンサーリンク



戦争と夫婦喧嘩

なぜ夫婦喧嘩は起こるのでしょうか。
夫が妻の、妻が夫の言い分を全て受け入れることができるのなら、夫婦間に喧嘩などありえません。両者の主張が対立していて、お互いに譲歩できないから起こるのでしょう。国家間の喧嘩たる戦争も同じです。一方の国が、他方の国の要求を呑めないから起こるのです。
私が不思議に思うのは、「戦争は絶対にしてはならない」などと発言する、いわゆる平和主義者の人たちは、夫婦喧嘩はしないのかということです。もしするのなら、彼らの言動は矛盾しています。というのは、自分は妻(または夫)の言い分を受け入れないくせに、自国には他国の要求を呑むよう主張しているのですから。他国と戦争をしない唯一の方法は、その国の要求を全て受け入れることです。
ロシアが北方領土は自国領だと言えばそれを認め、韓国が竹島は自国領だと言えばそれを認め、中共が尖閣諸島、そして沖縄も自国領だと言えばそれを認めるようにすれば、日露、日韓、日支の間に紛争は発生しないでしょう。もっと述べるなら、北朝鮮による吸収合併を韓国が認めるなら、台湾独立を中共が承諾するなら、北朝鮮と韓国、台湾と中共の間に戦争は起こらないでしょう。
たとえば、作家の故井上ひさし氏は、九条の会の呼びかけ人の1人であり、「平和主義者」でしたが、一方で家庭内暴力でも有名でした。もし平和主義者なら、相手の主張に全面的に従うべきなのです。氏は平和主義者たる自分が、妻に対して暴力をふるうことの矛盾に気がつかなっかったのでしょうか。というよりも、その矛盾に思い至らないから、暢気に平和主義を唱えていられたと言うべきでしょう。
「平和主義者」の皆さんは、戦争や核兵器などの高尚な問題よりも、まず夫婦喧嘩や親子喧嘩の「廃絶」について、真剣に取り組んでみられてはどうかと思います。

スポンサーリンク



はじめまして

はじめまして。

いけまこ、と申します。

1960年生まれの58歳です。オジンです。

この度、ひともすなるブログというものに、挑戦してみることにしました。

話題にするのは、主に、広義の政治的な問題です。
思想的には、かなり右寄りです。
たとえば、(後期)清水幾太郎氏、福田恒存氏、山本夏彦氏、渡部昇一氏を特に尊敬しております。

昼間は仕事をしていますし、夜は・・・・ビール党なので、ブログも寡作にならざるをえません。

興味がおありの方は、暇な折に当サイトへお立ち寄り下さい。

宜しくお願い致します。

スポンサーリンク