リベラルは左翼である

目次
1.リベラルは左翼ではない?

2.そもそも左派・右派とは

3.左派・右派は時代・国によって異なる

4.フランス革命期にも左派右派は変動した

5.その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分ける

6.リベラルは進歩主義者である

7.リベラルは自由主義者か

8.現在はどのような勢力で半々か

1.リベラルは左翼ではない?

1989年のベルリンの壁崩落、そして1991年のソ連邦解体により、一応冷戦は終結しました。それから、早くも約三十年が経過しました。

左翼の多数派にして主流派は、いまや社会・共産主義者ではなくリベラルであると私は考えますが、一方でリベラルは左翼ではないという人たちもいます。
どちらが正しいのでしょうか。少なくともどちらの主張が現実の世界をうまく説明できているでしょうか。

リベラルは左翼ではないという人たちによれば、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは自由主義者のことだから、後者は左翼ではないということであるらしい。
どうもリベラルというものを誤解しているようですし、左翼(左派)・右翼(右派)というものを、固定的に考えているようです。

2.そもそも左派・右派とは

左翼(左派)・右翼(右派)という言葉は、フランス革命期の議会において、議長席から見て左側に進歩派が、右側に保守派が席を占めたことに由来します。
それ以来、進歩主義的立場を左派・左翼、保守主義的立場を右派・右翼と呼んでいます。

3.左派・右派は時代・国によって異なる

左派・右派の区別は相対的・便宜的であって、時代・国によって異なります。

イギリスの二大政党制は、トーリー党対ホイッグ党で始まりました。各々がその後党名を変更して、保守党対自由党の時代になりました。
さらに時代が下がって、労働党が生まれ、同党が自由党の地盤・票を食って(自由党が退潮、労働党が伸長)、保守党対労働党の二大政党制になり、今日に至っています。

保守党対自由党の時代は、保守党が右派であり、自由党が左派でした。もっとも、ウィキペディアによれば、イギリスで「左翼・右翼」の用語が使用されたのは、労働党が第三勢力として登場した1906年の総選挙からとのことですが。
一方、保守党対労働党の時代は、相変わらず保守党は右派ですが、労働党が左派です。時代によって左派は変遷しました。
勿論、左派の変遷に応じて、右派も変化をします。右派が同じ保守党であっても、左派が自由党の時代と労働党の時代とでは、右派の主張内容も同じではありません。
そして、後者の時代にあっては、弱小化した自由党は中間派であっても、もはや左派ではありません。

同様に、フランス革命時代の左派と、冷戦時代の左派は同じではありません。後者の時代の左派の主流はマルクス主義者でした。
一方、フランス革命期(1789-1799)、まだマルクス(1818-1883)は生まれていません。だから、その時代の左派はマルクス主義者ではありません。要するに、左派も右派も時代・国によって変動します。
ということは、冷戦時代の左派と、冷戦後の、今日の左派が同じでなくても不思議ではないということです。

4.フランス革命期にも左派右派は変動した

先に述べたように、左派(左翼)・右派(右翼)という言葉が生まれたのはフランス革命期です。
一般的にフランス革命期とは、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃から(1787年との説もあり)、1799年11月9日のナポレオン・ボナパルトによるクー・デターまでを指します。その十年余りの短い期間にも左派、右派に相当する勢力は変化をしました。

【釈明】
フランス革命期の党派に関しては、著者や論者が曖昧な言葉を用いているため(たとえば、「王党派」や「民主派」)、理解が困難になっています。

フランス革命期の議会は、
A.国民議会<憲法制定国民議会も含む>(1789・6・17-1791・9・30)
B.立法議会(1791・10・1-1792・9・20)
そして、国民公会と推移しましたし(1792・9・20-1795・11・2)、
国民公会も三期に分けられます。
C.(1792・9・20-1793・6・2)
D.(1793・6・2-1794・7・27)
E.(1794・7・27-1795・11・2)
その後、
F.総裁政府(1795・11・2-1799・11・10)を経て、ナポレオンによるブリュメールのクー・デターに至ります。

各々の時期に、誰が左派で、誰が右派だったでしょうか。

A.最初の国民議会では、絶対王政派が右派でした。それより左にジャコバン右派(立憲君主派)が、さらに左に同左派がいました。

B.1791年9月に立憲君主制の憲法が制定されたので、絶対王政派がはじき出され、立法議会では、旧ジャコバンの立憲君主派であるフイヤン派が右派、ジャコバン共和派が左派になりました。

C.国王ルイ16世が国外脱出をはかったヴァレンヌ逃亡事件、そして外国との戦争における、国王の敵国との内通の発覚もあり、民衆の国王に対する信頼が失われました。国民公会は共和国宣言を行い、王制は廃止されます。
そのため、国民公会では、立憲君主派がいなくなり、皆共和派です。ここではジャコバン派の中のジロンド派が右派で、同モンターニュ派が左派です。

D.1793年6月2日、ジロンド派が追放され、モンターニュ派が独裁権を握り、恐怖政治が始まります。
同派のロベスピエールが左派のエベール派や右派のダントン派を粛清して、恐怖政治が強化されました。

E.1794年7月27日、ロベスピエールの恐怖政治を嫌う人たちの思惑が一致して、彼とその一派を逮捕・処刑し、国民公会の穏健派が実権を掌握し、恐怖政治が終わります(テルミドールのクー・デター)。
モンターニュ派の独裁の終わりによって、ジロンド派などの旧右派が復活しました。

F.国民公会が解散し、総裁政府が成立しました。総裁政府が行政を、五百人会と元老会が立法を担い、権力分立がなされたので、つまり、独裁ではないので、議会では右(王党派)から左(モンターニュ派)まで並存していました。

5.その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分ける

左派と右派の区分を考える上で、あまり指摘されませんが、その時代・国の勢力分布(中央・地方議会であれ、国民全体の思想的立場であれ)をおおよそ真ん中で分ける(=議長席から見て)、という点を外すことはできません。真ん中で分けるから、そこを中心としての左派、右派なのですから(二大政党制・党派でない場合は、左派、右派とは別に中間派がいたりします。実際、フランス革命期には左派と右派とは別に、常に中間派がいました)。

わが国で社会・共産主義に該当する政党といえば、日本共産党と社民党でしょう。両党の現在の支持率はどのくらいでしょうか。
時事通信社の「【図解・政治】政党支持率の推移」によれば、今年9月の時点で共産党は2.0%、社民党は0.5%です。合わせて2.5%ですが、少し多めに見積もって、わが国における社会・共産主義者は3%ということにしましょう。

さて、左翼とは社会・共産主義者のことであって、リベラルは左翼ではないという人たちの主張に従うなら、3%が左派で、残りの97%は右派だということになります。

なるほど97%が右派なのだから、左派と右派の区分は無意味になったという暢気な人が現れるのも無理はありません。

それなら、現在は左派が殆んどいない、右派だらけの時代なのでしょうか。3%の社会・共産主義者のみが左派で、保守のみならずリベラルも右派なのでしょうか。
確かに3%の人たちから見れば、そう思えるかもしれません。しかし、97%の内の、半分から右側の人たちから見れば、実感として違っています。3%のみならず、97%の内の、半分から左側の人たちだって十分左派に見えます。
実際今年7月の参議院議員選挙では、3%と左側半分の人たちとの間で野党共闘が行われました。彼らは32の一人区に統一候補を立てました。

その時代・国の勢力分布をおおよそ真ん中で分けるという点を見失ってはいけません。
<3%が左派、97%が右派>なのではありません。左右は常におおよそ50%対50%もしくは40%対60%(順不同)なのです(注)。3%は、左派50%の内の、最左派なのです。
では、左派のうち、3%は社会・共産主義者だとして、彼らを除いた47%の人たちは、どのような思想傾向の人たちなのでしょうか?

(注)
左派と右派の間には中間派がいたりしますが、「議長席から見て」なので、敢えて彼らを左派系と右派系に分けて考えます。

6.リベラルは進歩主義者である

一歩譲って、仮に3%の人たちのみが進歩主義者で、97%の人たちが保守主義者であるのなら、左翼とは社会・共産主義者のことで、リベラルは左翼ではないとの主張にも、いくらか説得力があるかもしれません。では、リベラルは保守主義者なのでしょうか。社会・共産主義者だけが進歩主義者なのでしょうか。

進歩主義者は永遠です。プロ野球の巨人軍よりも不滅です。進歩主義者が世の中からいなくなることはありません。彼らは社会に一定の割合でいます。進歩主義者は一つの新思想が破綻したら、次の新思想に乗り換えます。時々殻を替えるヤドカリのようなものです。

冷戦時代から今日へ。多くの進歩主義者は社会・共産主義からリベラルへ思想的衣替えをしました(日本社会党の消滅)。すんなりと。その屈託のなさが、衣替え前後の思想的振幅の小ささを表しています。
すなわち、社会・共産主義者のみならず、リベラルも進歩主義者なのです。

7.リベラルは自由主義者か

一般的にリベラリズムとは自由主義のことであり、リベラルとは自由主義者のことだと考えられています。しかし、いわゆるリベラルは自由主義者なのでしょうか。そもそも自由主義者とは、どのような思想的立場、態度をとる人たちなのでしょうか。

自由主義者であるか否かは、自分とは異なった意見を表明する権利を認めるか否かにあります。ヴォルテールの有名な言葉を引くなら、「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」人たちのことです。

全体主義体制にも、スターリン、ヒトラー、毛沢東、金日成などの独裁者と同じことを言う自由はありました。では、そのような体制は自由主義体制なのでしょうか。勿論違います。
自分の主張とは違う意見の生存権を認めないのが、場合によっては異見を主張する人の生存さえ認めないのが、全体主義者であり、全体主義体制です。

ではリベラルは、自分たちとは違った意見を述べることに対して寛容でしょうか。
昨年廃刊になった『新潮45』8月号に掲載された杉田水脈議員の論文が世間で話題になりましたが、リベラルはそれに対して猛烈に批判を浴びせました。
彼ら曰く、「差別的な発言に言論の自由はない」。
杉田氏の発言に対して、すべての人が「差別的な発言」だと考えたのだったなら、その主張にも一理あるかもしれません。しかし、彼女の発言は差別に当たらないと主張する人もいました。実際、杉田氏の論文に対するバッシングに抗って、『新潮45』10月号は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特別企画を行いました。

リベラル派が言っているのは、<私が「差別的発言」だと見做す意見には、言論の自由は認めない>ということです。そして、<ある発言が差別的であるかどうかは私が決める。そして、私の判断は絶対に正しい>と言っているに等しい。
他者の意見の表明に不寛容であるばかりか、自分の判断の無謬を前提にしています。

彼らが目指しているのは、「一人残らず同一の思想を持ち、同一のスローガンを叫びながら絶え間なく労働し、戦い、凱歌をあげ、異端者を迫害する国家」(ジョージ・オーウェル著、『1984年』、新庄哲夫訳、ハヤカワ文庫NV、95頁)なのではないでしょうか。。
このような思想傾向の人たちが、自由主義者でありうるでしょうか。

もう一つ例を挙げましょう。
台湾は自由で民主的な、人権や法の支配が守られている国です。一方、中共は自由でも民主的でもなく、人権も法の支配も守られていない、共産党一党支配の独裁国家です。
そして、中共は、台湾は自国の領土の不可分の一部であるとして、軍事的制圧の時機を窺っています。
もしリベラルが自由主義者なら、台湾に同情的であって当然です。しかし、彼らは、とりわけわが国のリベラルは、殆んどが中共派なのです!
ついでに述べるなら、もしわが国のリベラルが自由主義者なら、つまり、リベラルも保守も自由主義者で、全体主義者の要求を突っぱねるような硬骨漢だったなら、たとえばパソコンで「支那」と入力するのに、わざわざ「支」と「那」を別々に入力しなければならないようなことになっていないでしょう。

リベラルを字義通りに解すれば自由主義者ですが、異見に対する態度、中共と台湾に対する態度を見れば、彼らはとても自由主義者だとは言えません。

進歩主義者がリベラルを名乗っているため、自由主義者だと多くの人たちは誤解するのです。そして、そのような誤解があるから、「そもそもリベラルとは」などと論じたりして、現実のリベラルがそれと一致しないのを非難することになるのです。
名称と実体は別物です。たとえば支那軍は、正式名称は中国人民解放軍ですが、実体は支那人民抑圧軍もしくは支那周辺人民侵略軍です。
リベラルは、実質的には自由主義者ではありません。進歩主義者なのです。

自由主義者の中の<左派がリベラル、右派が保守>なのではありません。進歩主義者の中の<穏健派がリベラルで、急進派が社会・共産主義者>なのです。

8.現在はどのような勢力で半々か

中央・地方議会において、あるいは国民全体の政治思想において、現在はどのような勢力、思想的立場でおおよそ半々でしょうか。
リベラルと保守でしかありえないと思います(だから、保守二党論はナンセンスです)。
そして、進歩的な側を左派(左翼)と呼び、保守的な側を右派(保守)()と呼びます。
すなわち、リベラルは左派(左翼)です。

ジャコバン派もしくはモンターニュ派は左翼のフランス革命的形態であり、社会・共産主義は左翼の冷戦的形態であり、リベラルは左翼の今日的形態です。
リベラルは左翼ではないという人たちは、左派右派の区分を、超時代的な基準だと誤解しているのだと思います。

冷戦から今日へ。
左派右派は、イギリスの二大政党制が時代とは逆方向に進行したようなものだと考えれば分かり易いのではないでしょうか。保守党と労働党の対決の時代から、保守党対自由党の時代へ逆戻りしたようなものだと。

冷戦後、社会・共産主義政党が消滅あるいは衰退し、多くの社会主義者がリベラルへ転向して、左右の対立が社会・共産主義対自由主義から、自由主義左派(リベラル)対自由主義右派(保守)へ移行したのだと。
もっとも、前節で述べたように、リベラルは自由主義者モドキにすぎないのですが。

フランス革命期にギロチンで処刑されたロラン夫人(1754・5・17-1793・11・8)は嘆きました。「ああ自由よ、いったいお前の名でどれだけの罪が犯されたことか」。
私たちも嘆かざるをえません。
ああ自由を騙るリベラルよ、いったいお前たちの偽称でどれだけの罪が犯されていることか。

(注)
ここが「右翼」ではなく「保守」である理由は、「右派・保守・右翼・極右」を参照のこと。

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