共同幻影としての日本有罪論2

1995年に発表された村山内閣総理大臣談話の一部を引用します。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」。
さて、「遠くない過去の一時期」とは、いつからいつまでを指すのでしょうか。
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とありますが、具体的にどこの国に対してでしょうか。アフガニスタンも、イランも、インドも、サウジアラビアも「アジア諸国」です。では、これらの国に「わが国は」「多大の損害と苦痛を与え」たでしょうか。
「この歴史の事実」が「疑うべくもない」のなら、時期にしろ国名にしろ明確に記述できるはずです。ではなぜ、この談話はそれらを曖昧にしているのでしょうか。
朝日新聞の社説もそうです。2018年3月5日付「日韓歴史問題 ともに未来に進むには」にもこうあります。
「日本がかつて国策を誤り、アジアに多大な苦痛を与えたのは歴史の事実である」。
「歴史の事実」なら、なぜ「アジア」という言葉でごまかす=逃げるのでしょうか。
期間や国名について具体的に触れると、いや日本はこの国(わが国)に対しても「多大の損害と苦痛を与え」たではないかとのクレームが、内外から生じるからでしょうか。
たぶん、談話を発した当の村山氏にしろ、実際にこの談話を書いた官僚にしろ、朝日新聞の論説委員にしろ、何が<戦前日本の罪>なのかを理解していないし、明言できないからではないでしょうか。こんな不明瞭な談話では、国民は「歴史の事実」とやらを、「謙虚に受け止め」ることはできません。
それとも、国際社会の多数派は戦勝国側だし、各国と(第三国とも)仲良くしなければならないし、とりあえず、テキトーに謝っとこ、曖昧な談話ならそのいい加減さに国民も次第に気づくだろうし、遠くない将来の一時期反故にするだろう、それが村山内閣の狙いなのかもしれません(笑)。

追記
「共同幻影」という言葉は、私の造語ではありません。竹山道雄著、「人間は世界を幻のように見る」『歴史意識について』、講談社学術文庫を参照のこと。

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