共同幻影としての日本有罪論

ある人たちは言います。
「戦後日本人は自ら戦争責任を追及してこなかった」と。
先の大戦において、戦争指導者の誰に、どの程度「戦争責任」があったのか、ほぼ正確に認定できるのでしょうか。そして、その認定を、国内で統一しうるのでしょうか。
今からでも遅くないから、日本人自ら戦争責任を追及してみれば良いのにと思います。戦勝国史観の肯定派と否定派がいて、各々の陣営の中でも意見が分かれていて、誰を戦犯に指定するのか百家争鳴、収拾がつかなくなるでしょう。
アメリカ主導による東京裁判という外圧のため、誰も納得いかない形であれ、戦争責任の問題が収束したのです。
1995年の村山談話には、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との文言が見えますが、戦争責任のみならず、「植民地支配」の責任はどうでしょうか。
たとえば、日清戦争の敗北によって清国が日本に台湾を割譲したのは1895年、日本が韓国を併合したのは1910年、現在中共が植民地支配している、旧満州国の建国は1932年です。その他、植民地支配に該当する例はあるでしょう。
では、各々の事例において、誰に、どの程度責任があったのか、認定可能なのでしょうか。そして、その認定を国内で統一しうるのでしょうか。
そもそも、現在の日本人は、戦前=悪との思い込みはあるものの、(大東亜)戦争と植民地支配の区別さえついていないのではないでしょうか。
<戦前日本の罪>は、誰も納得できるように説明できない!そして、納得できる説明がないまま、罪はあるとの共同幻影の下、国民は戦前を反省してきたし、反日派は反省しないものを責めてきたのです。

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